瀧廉太郎没後90周年になるという。それはともかく、「花」を含む組曲「四季」がきちんと聴けるのは嬉しい。どの歌唱もストレートなアプローチで、曲そのものを味わうことができるのもいい。そんな中で、立川清登の歌う「荒城の月」は別格で、絶品。
82年にアイヌ民話のオペレッタで旗揚げ。以後、オリジナルミュージカル“グループりら”として、道内のみならずポーランドとも交流するなど奥行きある活動を続け…てなこともよくわかる解説付き。ひねこびてない素直な歌声が心地よい、全曲オリジナルのアルバム。
瀧廉太郎の代表的な歌曲が収められている。知っている曲も多く、懐かしくも楽しい。瀧もマーラーたちと同時代の世紀末の作曲家だった。最後に瀧のピアノ曲が2曲収められているのがうれしい。世紀末の西洋音楽であると同時に明治時代の香りがする。
枝雀は約10年前から英語落語に取り組んできた。さすが噺家で英語も立て板に水。苦しいところは怪しい外人風の日本語で笑いを誘う。二番ともオチが単純だから肩に力を入れずとも聴きとれる。出囃子に「草競馬」などの選曲もなかなか巧妙。
87年から行なわれている英語落語もえらく完成されてきた。さすがの96年6月ハワイ大学での実況録音。スリリングというものではなく、枝雀英語はあきらかに教材である。少し英語ができさえすれば楽しめる。創作ものと古典の英訳もの、どちらも見事。
派手で陽気な高座は師匠の桂枝雀ゆずり。大阪ではタレントとしても人気者だが、古典もしっかりとこなす実力派だということがわかる1枚。2題とも有名なネタだが、噺の本筋以外に脱線していくところに彼の憎めないキャラクターがよく出ている。
全国禿頭カンケイ諸兄の友、雀三郎(金萬福サンにも似てる)が師・枝雀直伝の顔芸を交えて演じる二題。さすがに「天王寺詣り」は松鶴の印象が強すぎて物足りず、現代口語との駆け引きもいささか苦しいが「口入屋」は立派に自分のネタに仕上げている。
ウィリアムズ最大の武器は音色の美しさ、見事なタッチによる輝くばかりのトーンはセゴビアに勝るとも劣らない。その美質は、おおらかな音楽性・揺るぎのない技巧と共に聴くものを魅了せずにおかない。バードの組曲が実にサマになっているのも彼ならでは。
ゴスペル界の大スター。作品数も膨大で、興味はあってもどれを買えばいいのかわからなかった人も多いと思うが、50〜60年代の録音36曲を収録した本作は決定版と呼ぶに相応しい。彼女の歌は、信仰のためのゴスペルを超えて、信仰を含んだ魂の叫びだ。
特撮モノの映画音楽作家として真っ先に思い浮かぶのが伊福部昭の名前。これまでの“全集”の続編として企画されたシリーズ、コレは日活編。“らしい”サウンドと“らしからぬ”サウンドが同居した、間口の広く奥も深いその音楽世界に思わず最敬礼。文字資料も充実。
類稀なメロディ・メイカーと歌ごころある絶妙なトリオが生み出した珠玉のアルバム。ピアニストのアンディ・エズリンを中心としたトリオがジャジィに表現してみせる。中島みゆきの曲がどのような姿に変身しているのか。まさにジャズの入門編として最適。
モダン・フォークの雄PPMのセカンド・アルバムで、63年に発表された。同年夏の大ヒット(5)や日本で大いに受けた(2)、シング・アウトの定番(6)など、今聴いても実にモダンなサウンドなのです。彼らの魅力を一言でいうなら“陽気な知性”だろうか。