満月の夜、かっちゃんがリンゴの木の“ヘソ”にすわったとたん、木はムクムク動きだし、空へ舞いあがったのです。リンゴの木ばかりか、樹令1000年のケヤキのふたごのシイの木までが飛ぶとなると、ただごとではありません。木にまつわる3000年に1度のひみつとは?…事実をもとに大胆な発想で描く新しいファンタジー。
岩波書店の製作者として、広辞苑、日本古典文学大系をはじめ数々の代表的な本づくりに挑戦し、戦後の書物文化の輝かしい一翼をになった故人の迫真的なドキュメントと意見。本を愛するすべての人びとへの実作者による平易かつ鮮明な“書物への招待”である。
本シリーズは、ソフトウェア生産における品質管理(QC)の重要性を強調し、ソフトウェア製品の品質と生産効率の向上を目指すことを意図しており、いわゆる学術書・専門書というよりも、もっと基本的かつ実践的なところを幅広くとらえて、やさしくわかりやすく記述することにより、この分野に関心を持つ初学者や技術者、さらに管理者までの広範囲な立場の方々に利用していただこうという趣旨で企画されている。
名句を読む楽しみ。現代俳句に明快豊穣な風景句の世界をひらき、その面目を一新させた著者が、子規以後、明治・大正・昭和三代の名句を懇切に鑑賞する。
日本・中国・朝鮮・ベトナム-をつなぐことばの輪。今、共通して用いられる漢語400あまりの表記と漢字音を、わかりやすく整理。発音の類似がひと目でわかる、画期的チャートを採用。耳から理解する《東アジア漢字文化圏》ノート。これ1冊で、ことばの壁を越え、アジアがぐっと近くなる。一読驚嘆、漢字音マニュアルの登場。中国語、朝鮮語、ベトナム語を学ぶ人にはもちろん、誰にでもわかる漢字音の世界。
こめんぶくは、ママははにいいつけられて、くりひろいにいく。くりはひろえず、山んばのいえにいき、たからのこばこをもらう。あるばん、そのこばこから、きものやうまをだして、まつりにいき、わかさまとたのしくときをすごすが、かえるとき、かたほうのげたをおとしてしまう…。この話は、越後に伝わるシンデレラ型の話をもとに、再話したもので、魔法使いならぬやさしい山んばの力で幸せをつかむロマンは、読者を魅了します。
10代の米国少年がナチ収容所の実態を見た!ナチ・ドイツ占領下のオランダ、家畜運搬車で強制収容されるユダヤ人たち。アメリカ国籍ゆえに13回までは逮捕を逃れたバリー少年もついに、オランダ人の両親とともに囚われた。酷寒の北ドイツ、この世の地獄で見た、汚辱と死、残虐と狂気。辛くも捕虜交換用の外国人として死を免れ、米国へ脱出した16歳の記録。収容所内の写真、関係書類など、迫真の証拠とともに発表された、数奇な運命。
みなさんは、新聞などで、LP盤10枚組〜20枚組セットの広告を、屡々ごらんになられたことがおありと思います。ところが、ちゃんとしたピアノ伴奏譜がついている抒情歌の楽譜集となると、全く出版されていません。今までは沢山の楽譜集をあちこち捜し廻らないと、これらの楽譜が集まりません。若しかして、こんな不自由さを解消できるのではないかと思いついて、この楽譜集を編纂した次第です。
スルタンガリエフは、きらめくようなひと筋の光芒を歴史の舞台に残しながら、またたくまにロシアの暗がりの中に姿を消した星である。ロシア革命の閃光と共に登場したスルタンガリエフは、ムスリム民族共産主義の父であった。このタタール人革命家は、ボリシェヴィキの思想にはらまれる「普遍主義」や「オリエンタリズム」の限界をいちはやく見ぬいていた。かれは、ムスリム自身の手で旧ロシア帝国のムスリム民族地域の脱植民地化をはかろうとした知られざる預言者でもある。スルタンガリエフは、生き急ぎ非業の死にたおれた須臾の人生において、社会主義とナショナリズム、それにイスラムの調和と総合を目指した。この「第三世界社会主義」の忘れられた先駆者は、ベン・ベッラ、フランツ・ファノン、アリー・シャリーアティーなどにも深い感銘を与え、激動する中東イスラム世界の現代史にも大きな衝撃を静かに及ぼしている。
4人の少年とともに自由な旅暮らしを営む綱渡り芸人ドロテは、莫大な財宝の伝説を共通してもつ人びとに出会い、〈イン・ロボール・フォルチュナ〉の銘が刻まれた金メダルの存在を知る。銘の謎をめぐって、残酷な手がドロテにのびる。財宝の闇を消し去るものはだれか!冒険児ルパンに比肩する女探偵ドロテの闘いははじまる。
持ち噺の多彩さでは史上最高といわれた故六代目円生は、また、本番の落語の前にちょっと喋る短い話-いわゆる「まくら」の名手でもあった。その洒脱な語り口は、江戸時代の社会や落語の舞台についての綿密な研究に裏打ちされている。数々の名高座から、65編をよりすぐった定評ある円生の「まくら」集は、一味変った珠玉の小エッセイ集ともいえよう。
「南京事件」は1937年12月13日から数日間、偶発的に起こったものではない。11月5日に杭州湾に上陸し、首都・南京を攻略するまでのわずか30数日のあいだ、各戦線で中国人捕虜や一般民衆に対して残虐行為を重ねたうえでの出来事だった。中国人被害者の赤裸々な証言と詳細な資料とによって、日本軍の実態を明らかにする。
進歩主義を指標とした戦後日本のイデオロギーに批判の矢を放ち、「豊かさ」と「等しさ」を実現した高度大衆社会の虚妄を鋭く問いただす。
「明るい悩み相談室」の連載を始めたのは、59年の11月、最初は朝日新聞大阪本社版の日曜「若い広場」欄であった。本書は全国版になる前の、西日本エリアでのみ掲載されたものを集めてつくったものである。