カナード部品(プラ部品)を追加して、T-2 CCVを再現。
デカールはA.D.T.W.所属時、A.P.W.所属時を選択可能です!
機体パーツカラーはホワイト。
デカール(マーキング)
航空自衛隊 飛行開発実験団 運動能力向上研究機 「103」(岐阜基地)
航空自衛隊 航空実験団 防衛庁技術研究本部 運動能力向上研究機 「103」(岐阜基地)【対象年齢】:【商品サイズ (cm)】(幅):37.2
F-14Aトムキャットは、アメリカ海軍の艦上ジェット戦闘機です。
F-14Aは、AWG-9(オーグナインと呼ばれます。)
火器管制システムを使用して、最大24目標(敵)を追いかけ、そのうち6機にフェニックスミサイルによる同時攻撃が行えます。
またF-14Aは、ユニークな可変翼を採用しています。
この翼はコンピュータによって常に最適な可変角度になるようになっています。
たとえば速度が落ちたときは、浮く力を多く取るために翼を広げます。
逆に高速の時は、翼が抵抗にならないようたたんで飛行します。
また航空母艦の上にいるときは、じゃまにならないよう翼をたたみます。
※火器管制システム:機首につけられたレーダーを使って敵を発見これを電波で追いかけてミサイルを発射(ミサイルの発射はパイロットが操作します)する装置。【対象年齢】:
鍾馗は一撃離脱戦法を重視した重戦闘機として開発され、航続距離が短い局地戦闘機的な性格でした。
本土防空戦に投入され、帝都防空の要となります。
鍾馗装備部隊としては飛行第70戦隊、飛行第23戦隊、飛行第47戦隊が東京周辺、飛行246戦隊が京阪神地区を担当し、来襲するB-29を相手に防空戦闘機としての本領を発揮しました。
陸軍は軽戦闘機の究極と言われた97式戦闘機で成功を収め戦闘機の航空用兵方法も軽戦闘機中心になっていましたが、昭和13年度の陸軍航空本部兵器研究方針により次期戦闘機の開発に当たり軽戦闘機(後の1式戦闘機隼)とともに世界各国で中心となりつつあった重戦闘機の研究を始めます。
陸軍からの要求は最高速度600Km/h以上・高度5000メートルまで5分以内、行動半径 600Km以上、武装7.7mm機銃2挺、12.7mm機関砲2門、当時の基準から考えると相当過酷な条件でしたが他国の重戦闘機が初飛行にかかる位の完成度にあり、これから開発する日本にとってそれらを越える戦闘機でなければ意味を持たないことを考えると必然的な条件であったでしょう。
軽戦闘機、重戦闘機共に中島飛行機が開発を担当、重戦闘機(後の鍾馗)は日本初めての機種であったため若手技術者を中心に熱のこもった開発が行われ、中島独自の設計思想をふんだんに取り入れ特徴の多い機体となりました。
一番苦労したのはエンジンの選択で高出力でコンパクトなエンジンがなかった為、爆撃機用のエンジン ハー41 を採用。
この為特徴ある頭でっかちのデザインの根本となります。
セミモノコック式の構造を持つ胴体はカウルフラップの後端からコクピット周辺までで急激に絞り込まれ、機体開発コンセプトとエンジンの選択方法まで
同じような経緯をたどった海軍の雷電とは対称的なデザインとなりました。
高速化のため翼幅を短くし、850Km/hの急降下 12.6Gまで耐えられる構造を持つ主翼。
旋回性能を維持するため中島独自の空戦フラップ兼用の蝶型フラップを採用。
水平尾翼より後方に配置された垂直尾翼は横安定性と縦安定性を分離して考えた結果でかなり有効であったようです。
増加試作機のテストの結果、最高速度は626Km/h(武装なしなどの条件付き)を記録。
「若干の改修を施せば対爆撃機要撃機として使用できる」と判断され機体の小改造の後2式単座戦闘機として制式採用されます。
かねてからテスト中であったハー109エンジンが実用化され、ハー109エンジンに換装 プロペラやオイルクーラーの構造と配置、防弾装備などが改良後2式2型単座戦闘機として採用され、最高速度600Km/h、高度5000メートルまで4分15秒と非常に卓越したものとなります。
2型には武装により甲、乙、丙の3種の型がありました、甲型は機首に7.7mm機銃2挺翼内に12.7mm機関砲2門を装備、乙型は機首に12.7mm機関砲2門翼内に40mm自動噴射砲2門装備、丙型は機首、翼内共に12.7mm機関砲各2門装備していました。
さらに改良型の3型が生産されますが4式戦闘機疾風に生産に切り替えられ少数の生産にとどまりました。
軽戦闘機の操縦に慣れた陸軍航空隊のパイロットはその操縦性を嫌ったようですが、
慣れてくればそのつっこみの速さ、素直な操縦性や射撃時の安定性に魅了されていったようで、言われているほど難しい機体では無かったようです。
主な生産型はII型丙で、タイ、ビルマ方面、中国大陸、フィリピンなどで要所防空に活躍しますが、主に本土防空戦で使用されB-29を相手に奮闘しました。
鍾馗の実戦部隊として有名なのは、独立飛行第47中隊で、鍾馗の実験装備部隊として開戦間もなくビルマ、マレー方面に展開していましたが防空戦闘機として活躍するチャンスはあまりありませんでした。
しかし東京初空襲のショックもあり帝都防空のため内地(松戸、調布、成増)に移動、帝都防空の要となります。
さらに鍾馗装備部隊として飛行第70戦隊、飛行第23戦隊、飛行第47戦隊、が東京周辺、
飛行246戦隊が京阪神地区を担当、以後鍾馗を駆り来襲するB-29を相手に防空戦闘機としての本領を発揮して活躍しました。
1990年全日本F3000選手権に参戦した、フナキレーシングのレイナード 89Dを再現!
ボディパーツカラーはホワイト。
デカール(マーキング)
1990年全日本F3000選手権 フナキレーシング Car No.27 ドライバー:マウリツィオ サンドロ サーラ【対象年齢】:【商品サイズ (cm)】(幅):17.8
エアバスA320は、150席クラスの双発ジェット旅客機としてエアバス・インダストリーで開発された機体です。
1984年に発案されたA320は、狭胴型で120席?150席クラスのSA-1と150席?180席クラスのSA-2を発表し、翌1985年に正式なプ ロジェクトとなりSA-1、SA-2共にA320-100、A320-200と命名されました。
その後検討の結果ー100とー200は統合され150席?179席のクラスとなり、エンジンもCFM56に決定されました。
1986年4月に初号機の組立を開始し1987年2月22日に初飛行をしました。
その後1988年3月にエールフランスに1号機を納入しました。
A320の機体で最大の特徴は、旅客機として初めてフライ・バイ・ワイヤの操縦系統を採用したことでしょう。
これにより従来パイロットの中央にあった操縦桿はなくなり戦闘機のような小さなサイドスティックで機体の操縦を行います。
広々したパイロット前部には引き出し式のテーブルがついています。
コックピットは最新のCRTを装備したグラスコクピットです。
キャビンは狭胴型で中央通路を持つ3-3配列で、シートも従来機から1(2.5cm)インチ広くしたタイプを採用しています。
A320は統合1機種でスタートしましたが後にー100、-200が復活し量産1号機から21号機までがー100型で、22号機以降がウイングチップフェンス付きで航続距離を延ばしたー200型になります。
模型全長 … 188mm
模型全幅 … 170.5mm【対象年齢】:
飛行甲板に日の丸を記したミッドウェー海戦時の姿を再現!
艦底部品(プラ部品)を追加したフルハル仕様。
基本となる艦底部品は一体成形!
内側に桁部品を差し込む構造で、ビルジキールやスクリューまわりが別部品となっています。
展示台用木板とアルミ製ネームプレートが付属。
追加プラ部品
フルハルパーツ
メタル部品
スクリュー
マントレット
製品仕様
連合艦隊 第1航空艦隊 第1航空戦隊 1942年6月ミッドウェー海戦時【対象年齢】:【商品サイズ (cm)】(幅):37.25
「鶴丸」を復活させたJALのニューマーキング機、B777-300をキット化!
鶴丸マークは、以前のものと比べると翼の切り込みが深くなっており、JALの文字は力強く太いゴシック系の書体が採用されています。
デカール(マーキング)
・日本航空 新ロゴ(鶴丸)機「JA8942」(2012年2月)
・日本航空 新ロゴ(鶴丸)機「JA8941」(2011年11月)
模型全長 … 370mm
模型全幅 … 305mm【対象年齢】:【商品サイズ (cm)】(幅):30.5
2009WGP 第11戦 チェコGPに参戦したマシンを再現!
カウルパーツカラーはホワイト。
デカール(マーキング)
2009年 ロードレース世界選手権 チェコGP 250ccクラス 11位 「14」 ライダー:ラタパー ウィライロー (2009年8月16日)【対象年齢】:【商品サイズ (cm)】(幅):16.3
イギリスの国内レース、ナショナル・サルーンカー・カップのDクラスで総合優勝を果たしたカストロール ホンダ。
キットには、再現度をさらに高めるべく、ローダウン用パーツをセット。
車高を落とし込み、より実車に近い状態で組み上げることが可能です。
追加プラ部品
ローダウン用パーツ
デカール(マーキング)
1993年ナショナル・サルーンカー・カップ クラスD総合優勝車 チーム カストロール ホンダ CAR No.76【対象年齢】:【商品サイズ (cm)】(幅×奥行):17×7
リアウイングでエキサイティングな外観に!
リアウイングは3Dプリント部品をセットします。
ボディパーツカラーはホワイト。
3Dプリント部品
・リアウイング【対象年齢】:【商品サイズ (cm)】(幅):17.25
フェイスガードを追加装備した、新型グローサーフントをキット化!
デカールはシルクスクリーン印刷で、「青8」と他3機分をセットする予定です。
A5サイズ の塗装カードが付属。
パッケージイラストは横山 宏 氏が担当。
※完成見本は横山 宏 氏 オリジナルモデルです。
デカール(マーキング)
青8
他3機分を予定【対象年齢】:【商品サイズ (cm)】(高さ):15.9
1988年 富士1000kmに参戦したチーム リー デイヴィーのマシンを再現!
ボディパーツカラーはホワイト。
デカール(マーキング)
1988年全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権 WEC IN JAPAN 富士1000km 出場車 (1988年10月9日) チーム リー デイヴィー Car No.20 ドライバー:ティム リー デイヴィー/トム ドット ノーブル/池谷 勝則【対象年齢】:【商品サイズ (cm)】(幅):20
【対象年齢】:【商品サイズ (cm)】(幅×高さ):3×23
1991年に投入され、マクラーレンとの激しいタイトル争いを演じた、マンセル&パトレーゼのマシンを再現。
ウィリアムズは、1991年 F1グランプリで優勝7回、コンストラクター2位を獲得しました。
キットのボディパーツカラーはホワイトとなります。
デカール(マーキング)
1991年 F1世界選手権 出場車 ウィリアムズ グランプリ エンジニアリング チーム(総合2位) Car No.5 ドライバー:ナイジェル マンセル(1991年シーズン2位)
Car No.6 ドライバー:リカルド パトレーゼ(1991年シーズン3位)【対象年齢】:【商品サイズ (cm)】(幅×奥行):17.2×8.7
部隊マークのカエルを尾翼に大きく描いた、301SQの50周年記念塗装機を再現!
デカール(マーキング)
航空自衛隊 第3航空団 第301飛行隊 50周年記念塗装機「701」(三沢基地:2023年11月)【対象年齢】:【商品サイズ (cm)】(幅):21.75
1936年、イギリス空軍省は将来を見越した新爆撃機の仕様を作成。
これに基づきアブロ社は「タイプ679」という機体を提案しました。
本機は、ロールス・ロイス社の新型24気筒X型 バルチャーエンジンを搭載した双発爆撃機で、「マンチェスター」と命名され1940年にロールアウトし、部隊配備が開始されました。
マンチェスターは1年半に渡って使用されましたが、エンジンやプロペラの具合が悪く、思うような運用は出来ませんでした。
そのためエンジンをロールス・ロイスのマーリンXに換装、さらにエンジン自体の出力不足を補うために双発から四発に設計変更するという「マンチェスターIII」の開発計画が浮上。
本機が傑作機ランカスターの原型機となりました。
1941年、ランカスター原型1号機の試験飛行は大成功を修め、その結果マンチェスターの生産計画は全てランカスターに変更されていきました。
初期生産型のランカスターMk.Iは、マーリンXXエンジンを搭載。
その後、生産が進むにつれて、マーリン22、マーリン24へと向上。
さらに、大量の発注に対してマーリンエンジンの供給が滞ることを想定して、ブリストル・ハーキュリーズ空冷星形18気筒エンジンを搭載するMk.IIの生産も考慮していました。
しかし、アメリカの参戦によりライセンス生産されたパッカード社製のマーリンエンジンが大量に入手出来るようになったため、Mk.IIの生産は300機で終了。
ライセンス生産されたマーリンエンジンを搭載した機体はMk.IIIと呼ばれました。
ランカスターの胴体には、背部と腹部にそれぞれ銃座が取り付けられるようになっていましたが、後に腹部の銃座は廃止。
3基のフレイザーナッシュ油圧式旋回銃座が前部、背部、尾部に取り付けられ、それぞれに7.7mmブローニング機銃が装備されました。
爆弾倉は全長10.05mと非常に大きく、4000lb(1614kg)の爆弾が搭載できました。
キットはMk.I / Mk.IIIを精密に再現。
爆弾倉は開閉選択式。
内部に搭載される爆弾部品に500lb爆弾×18発、4000lb爆弾×1発を用意。
デカール(マーキング)
第467飛行隊 所属機「PO◎S」(1944年夏以降)
第467飛行隊 所属機「PO◎S」(1944年5月)
第467飛行隊 所属機「PO◎V」(1943年夏)【対象年齢】:
震電は、重爆撃機迎撃用に開発された日本で最初の前翼式戦闘機です。
この方式では、機体内部空間が有効に使え、胴体寸法を小さくすることができます。
前翼は揚力を発生できるので主翼も小さくなり、そのため機体重量や抵抗の面で極めて有効で、高速戦闘機の開発に多くの利点を持っています。
また、機首に大口径機銃を集中装備できることも大きな特徴です。
大きな期待をかけられた震電ですが実戦には間に合わず、試作1号機が3回にわたり45分間飛行したところで終戦となりました。【対象年齢】:
「地球は青かった」と美しさを絶賛したソビエト連邦のガガーリン少佐が乗ったヴォストーク1号が、人類初の有人宇宙飛行に成功してからちょうど20年後の同じ日、1981年4月12日NASA(アメリカ航空宇宙局)はスペースシャトル コロンビアをケネディ宇宙センターから打ち上げました。
アポロ11号による有人付き着陸が成功したのをピークとして、宇宙開発に向けられた一般の関心は急速に薄れ、壮大な費用がかかる宇宙開発に批判が投げかれられました。
そこでNASAは、従来のような高価な打ち上げロケットの使い捨てをやめ、再度使用することのよって低コストで地球と宇宙を何度も往復できる宇宙輸送システム、いわゆるスペースシャトル計画をたて、1972年11月に承認されました。
スペースシャトルはオービター(軌道船)と外部燃料タンク、2基の固体燃料ロケットから構成されています。
オービターには乗員が最大7名と貨物を最大29,500kg搭載でき、ロケットで打ち上げられ宇宙での作業が終わると大気圏に再突入し、滑空飛行をしながら着陸します。その後点検、整備されて再び宇宙へ向かうのです。
また、2本の固体燃料ロケットも海上に落下したものを回収して再度使用されます。
スペースシャトルの任務としては、人工衛星の設置、修理、回収や、太陽熱発電所の開発、宇宙の特性を利用した合金や医薬品などの製造、国際宇宙ステーションやコロニーの建設、それに軍事利用などです。
※プラモデル発売当時の情報です。
模型全長 … 185mm
模型全幅 … 118mm【対象年齢】:【商品サイズ (cm)】(幅):11.8
1950年2月、当時のフォルクスワーゲン社の最高責任者ハインリッヒ・ノルトホフは、タイプ2と呼ばれる便利なトランスポーターを発表しました。
ビートルの足まわりと箱形のボディを組み合わせて作られたタイプ2は、ビートルに次ぐベストセラーになったモデルです。
1950年3月、デリバリー・バンと呼ばれる商用車からスタートしたタイプ2は、その後も様々なバリエーション・モデルを加えていきます。
便利な貨物兼用車として人気を得たコンビ、マイクロ・バスのサンバは自家用のみならず、送迎用、業務用としても重宝されたモデルです。
1950年から 1966年までの作られた初代のタイプ2は2枚に分かれたフロント・ウインドウと、ボディ・ヴァリエーションが豊富なことも手伝って、いまだ人気の高いモデルです。
<データ>
乗車定員:8名
全長:4,280mm
全幅:1,750mm
全高:1,925mm
車両重量:1,110kg
総排気量:1,192cc
最高出力:34ps/3,600rpm(DIN)
最大トルク:7.68kg/3,600rpm【対象年齢】:
【対象年齢】:【商品サイズ (cm)】(幅×高さ):21.1×19.8