名曲「フォーエバー・ヤング」の絵本。ボブ・ディランの半世紀の道を一緒にたどってみませんか?アメリカ生まれの詩人アーサー・ビナードによる歌える日本語訳。
アップル、全レコード会社、テイラー・スウィフトを敵に回し、アマゾン、グーグル、ジェイ・Zと競合し、マイクロソフト、テンセントがその支配を狙う。向かうところ敵だらけのSpotifyは、なぜ音楽の「聴き方」と「ビジネスモデル」を永遠に変え、有料会員1億人超の世界No.1音楽ストリーミング企業となることができたのか。あり得ないほどの危機的状況を逆転し、真のユーザーファーストのサービスを確立する方法。
伝説が終わり、真実が始まる。つくり上げられた偶像のヴェールを剥ぐ全音楽ファン待望の「自伝」第1弾。
あの夜、歌舞伎町のビルに火を放ったのは自分なのか、それとも?-泥酔した記憶が定かでない中古レコード店主は自問を繰り返す。不穏な日々を彩るように流れるディランの歌声。やがて不審な客が店を訪れ「火をつけろ」とつぶやき姿を消した…。あの「九月十一日」の直前、東京・西新宿を舞台に、変容する世界を描く表題作と、三十一年間借りたままの本を返しにゆく奇妙な一日を写す「返却」。現代演劇を刺激し続ける著者が挑む“小説の冒険”。
ディランのベスト盤は過去に何枚も発売されているが、このヴァージョンはベーシックなレパートリーをコレクションしたものだ。こうやって聴いてみると、常にディランは尽きぬ創造力を発揮してきたことが分かる。味わい深い名曲揃いだ。
60年代、絶大な人気を集めて世界を席巻したビートルズと、プロテストソングの歌い手として若者の支持を集めたボブ・ディラン。前者はロック、後者はフォークと、一見相いれないジャンルを代表するアーティストとして解釈されがちだが、実は互いに影響を与え合っていた。ディランとの出会い以降、ビートルズは、歌詞の思想性が強くなり、LSDの力も借りて数々の傑作を生みだす。一方のディランは、エレキギターを握り、ロックへと転向。ときに両者は反目したが、ビートルズ解散後、なかでもジョージ・ハリスンはディランとの親交を深め、共に新しいバンドを結成する。本書では、知られざる両者の関係性を様々なエピソードとともに読み解いていく。
仕事も人間関係も、必ずうまくいくー心に“ウブントゥ”を持ちさえすれば。南アフリカにつたわる、どんな相手ともベストな関係をつくる智恵“ウブントゥ”。この奇跡の処方箋で劇的に立ち直った、“クビ寸前”部長とダメダメ部門の感動の再生物語。
「花を売らない花屋」青山フラワーマーケット、「夢を持とうという気持ちを売る居酒屋」てっぺん渋谷男道場、「ご利益いっぱいの大福を売る」東京すがも園、など、繁盛店からわかる、小さなお店がよみがえる秘訣。
現時点でのディランの宗教観こそ不明ながら、このクリスマス歌集はいい! デヴィッド・イダルゴのアコが冴えるポルカ調の「マスト・ビー・サンタ」など異色の演奏を交えつつも、本人のだみ声は無心そのもの。この異形のポピュラー・シンガーぶりにあっては、凡百の季節ものなど吹き飛ぶこと請け合い。★
暴利を貪るマイクロファイナンス、衝撃の実態!!世界6カ国のマイクロファイナンス組織で働いてきたエコノミストが「無法地帯」化する業界の不当行為を告発する迫真のノンフィクション。
いま聴くべきロックはこれだ!50年の歴史から選びぬいた100枚&モア。
個性的なミュージシャンたちが放った個性的な名言の数々の背景、影響、真意などを音楽ジャーナリストたちが徹底解説。
「大学の音楽史の授業をいかにおもしろくするか」-この本の出発点はここにあった。さいわいなことに、「音楽史」の場合は、歴史の証人であり、その結晶ともいうべき音楽作品がある。そうした音楽がもたらしてくれるよろこびや感動から音楽史を再構築できないかーここに本書のねらいがある。名曲はそれぞれの歴史的時点を示し、かつ時代を要約し、さらには普遍的な真実を語る。だとしたら、そうした名曲に歴史を語らせ、しかも現代のわれわれにも尽きない興味を呼び起こすことができるはずである。それは博物館の陳列棚から作品を解放し、音楽をわれわれの生の一部とすることでもあろう。本書が「事実」を羅列したり、「通説」を組み替えただけの「音楽史」と一線を画することができたとすれば、何よりも音楽を生きた証言としていることにあるだろう。
1960年代前半に反体制フォーク・シンガーとして登場し、その後生ギターをエレキに持ち替えて時代の寵児となったボブ・ディラン。稀代のメロディーメーカー、“言葉の錬金術師”と言われた歌詞、そして真似のできない歌唱法。生けるレジェンド、“神様”ボブ・ディランの正体が今明らかになる。
社会不安に揺れていた1960年代初頭のアメリカを歌ったボブ・ディラン初期の傑作。「風に吹かれて」「戦争の親玉」などが収録された、この2ndアルバムで、ディランは一躍プロテスト・シンガーとして知られるようになった。