たとえばたとえば。サルスベリの木に惚れられたり。床の間の掛軸から亡友の訪問を受けたり。飼い犬は河瞳と懇意になったり。白木蓮がタツノオトシゴを孕んだり。庭のはずれにマリア様がお出ましになったり。散りぎわの桜が暇乞いに来たり。と、いった次第の本書は、四季おりおりの天地自然の「気」たちと、文明の進歩とやらに今ひとつ棹さしかねてる新米精神労働者の「私」と、庭つき池つき電燈つき二階屋との、のびやかな交歓の記録である。
自由でのびやかな意匠と、伊万里磁器のさきがけとなった新技術。茶人や酒呑の愛してやまない古唐津の美の世界を知る、とっておきの一冊。青山二郎が「五指」に数えたぐい呑、花人・川瀬敏郎が「初めて」唐津にいけた花、考古学的知見を盛り込んだ最新の唐津焼入門、唐津旅ガイド等々、盛りだくさんの永久保存版。
伝説と化した清士、介子推との一閃の交わりに始まる鮮烈な冒頭。本篇は傑作『重耳』につらなる、名宰相・士会をえがく快著である。
地球より彼方に浮かぶ双子惑星サント・クロアとサント・アンヌ。かつて住んでいた原住種族は植民した人類によって絶滅したと言い伝えられている。しかし異端の説では、何にでも姿を変える能力をもつ彼らは、逆に人類を皆殺しにして人間の形をして人間として生き続けているという…。「名士の館に生まれた少年の回想」「人類学者が採集した惑星の民話」「尋問を受け続ける囚人の記録」という三つの中篇が複雑に交錯し、やがて形作られる一つの大きな物語と立ちのぼる魔法的瞬間ー“もっとも重要なSF作家”ジーン・ウルフの最高傑作。
コメはどこから来てどこへ行くのか。中国、韓国から東南アジア、そして日本へと、稲作の風景と文化を追い求める旅。
「モービィ・ディック」と呼ばれる巨大な白い鯨をめぐって繰り広げられる、メルヴィル(一八一九ー一八九一)の最高傑作。海洋冒険小説の枠組みに納まりきらない法外なスケールと独自のスタイルを誇る、象徴性に満ちた「知的ごった煮」。新訳。
原始の森林に無一物でほうりだされたとき、いちばん役に立つ家畜とは?ニワトリの驚くべき鉄の胃袋、六本の角をもつヒツジ、空が暗くなるほどの数で何日もつづくハトの群れ、イヌの敵討ち、スピッツベルゲン島の鳥の集会など、びっくりするような話が盛りだくさん。
“モービィ・ディック”との遭遇を前にして、エイハブ船長ひきいるピークオッド号の航海はつづく。ほかの捕鯨船との“出あい”を織りまぜながら、鯨と捕鯨に関する“百科全書的”な博識が、倦むことなく、衒学的なまでに次から次へと開陳されていく。
中国・春秋時代の晋。没落寸前の家に生を受けた若者・士会は、並外れた兵略の才と知力で名君・重耳に見出され、混迷の乱世で名を挙げていく。生死を無意味にしないために人はなにをすべきか。勇気の本質とはー。苦難を乗り越え、宰相にまで上り詰めた天才兵法家のあざやかな生涯を格調高く描いた古代中国傑作歴史小説。
「礼をおこたった晋は欺瞞の国になる。」苦悩の果て、覇権争いに乱れた祖国を離れ秦に亡命した士会は、君主に重用され平和な日々を送る。しかし、危難にある晋からの使者が再び士会のもとを訪れるー。徳を積み、知謀の限りを尽くして国を救った天才兵法家の一生を、多彩な人物が息づく古代中国に描きだした傑作歴史長編。
親業に出会うことが、コミュニケーションの質を変え、人間関係を変える。それだけではなく、自分自身への見方、考え方を変える、自分の欲求が明確になる。そしてそのことが、その人の人生の質までを変えていく。
英語圏の国々では現代哲学の主流であり続ける分析哲学。しかし、日本ではその存在感は薄い。その現状が「限りなく号泣状態に近いくらい悲しい」と嘆く著者による、渾身の入門書。「ある」とはどういうこと?「知っている」とは?「心」とは?「物」とは?分析という「理屈」を武器に、そしてユーモアを隠し味に、哲学的思考へとあなたをいざなう快著。
これからの日本料理を担う若い人たちをはじめとして、多くの料理人の方々に料理用むきものの良さを再認識してもらう意味で、基本的なむきものから独創的で斬新なむきものまでを一冊にまとめた料理用むきものの入門書。
今、世の中が移り変わり、ものが豊かになるなかで、むかし話が忘れられようとしています。残念ながら、むかし話を語ってくれる人が、少なくなってきたのです。そこで、なんとか今のうちにこのふるさとの宝であるむかし話を保存し、伝えていこうとして作られたのが、この『宮城のむかし話』です。