人間の目は、赤・青・緑の3色しか見えない。だが、虫や鳥は紫外線をも見ることができる。では虫や鳥には、世界はいったいどう見えているのか?著者は紫外線カメラを自作し、動物や植物を撮影。そこには驚きの世界が広がっていたー。モンシロチョウは雌雄で翅の色が違い、ウツボカズラの捕虫嚢は紫外線を反射して虫を誘い、ハシブトガラスは紫外色の模様の違いで個体を識別していた。人には見えない生存戦略を探る。
小さなサンゴから、地球上で一番大きなシロナガスクジラまで、30種類を超える海の生き物を紹介しています。写真を見ているだけでもわくわくするような生き物たちの生態に迫ってみよう!150枚以上の迫力のある写真。生き物たちの驚きの生態を解説。身近では触れられない貴重な生物がたくさん!生き物への関心が高まる1冊。対象年齢4〜8歳。
時は大正、活動写真館。若くして浅草にある写真館館長を務める鷹成は、背広を着こなし、言い知れぬ風格を漂わせていた。母を亡くして行くあてのなかった久生は、鷹成に拾われ写真館で働くことに。弁士をはじめとする個性豊かで賑やかな従業員とも打ち解ける中、色事に疎いまま生きてきた久生は、鷹成の距離の近さと、射抜くような熱い眼差しにあたふた…。「逃げられると思うなよ。もう手加減しないからな?」フィルムがつなぐ、めくるめく大正人情浪漫!
近代建築約300棟の内外観をオールカラーで掲載。遠くなったはずの幕末・明治を目の前に再現する。近代建築の歴史的背景や建築にまつわる逸話や著名人物なども随時紹介。歴史上の建物や人物も登場する。
イメージ通りの色を再現するために!すべてのカメラマン、デザイナー、レタッチャーに。
生まれながらの皇太子としてご生誕、戦時中の疎開生活、美智子様との軽井沢での出会い…
百人一首、代表的な短歌と俳句をテーマ別に収録し、写真とともに解説。より理解を深める「まめ知識」も充実しています。季語を季節別五十音順に収録し、写真とともに解説。一部の季語では、例句とその意味を紹介しています。俳句と短歌の歴史や表現技法の解説はもちろんのこと、百人一首の理解を深める「百人一首って何だろう?」、俳句のつくり方がわかる「俳句をつくってみよう!」、代表的な俳人を紹介する「俳句作者紹介」を掲載しています。
日本は大陸で何をしようとしたのか?…「幻の帝国」の前史から崩壊後まで!満鉄・関東軍・満州事変・満州国誕生・日本人街・開拓移民団・帝国崩壊・シベリア抑留・負の遺産…私たち日本人が今知るべき歴史!
広告写真家として多くの撮影を手がけてきた鈴木心が、一般のお客様向け出張写真館を始めたのは東日本大震災直後。2017年には世田谷松陰神社前に店舗を構え、「撮った日が、記念日。」をキャッチフレーズにまったく新しい写真館の形を提案してきた。未来につながる写真の可能性が、ここにある。
変わりゆく町、新小岩駅南口の商店街の路地裏に佇む居酒屋・米屋。魚拓だらけの店で今夜も女将が腕をふるいます。父と娘、母と息子、すれ違う想いや許されぬ恋、そして忘れられぬひと…。出会いと別れをくり返しながら、みんな生きてゆく。「食と酒」小説で大人気の著者が贈る、あなたにそっと寄り添う居酒屋物語、第3弾。
グローバルガールズグループKep1er!!待望のJapan 1st Albumリリース!!
Kep1erは韓国のオーディション番組から誕生した9人組グローバルガールズグループ。
Japan 1st Album <Kep1going>は、日本でリリースした3枚のシングル‘FLY’シリーズを通して出会ったKep1erとKep1ian(Kep1erファンの呼称)がこれからも一緒に夢に向かって走り続ける!という思いがアルバムタイトルに込められている。
アルバムに収録されるのは、日本タイトル曲「Wing Wing」「I do! Do you?」「Grand Prix」をはじめ、2022年9月に日本デビューしてから今まで日本でリリースされた全15曲が収録。
さらにアルバムタイトル曲となる新曲「Straight Line」など、日本オリジナルとなる新曲計5曲が収録予定。
●アーティストプロフィール;
2021年に韓国・Mnetのオーディション番組「Girls Planet 999:少女祭典」から誕生したユジン、シャオティン、マシロ、チェヒョン、ダヨン、ヒカル、ヒュニンバヒエ、ヨンウン、イェソによる9人組グローバルガールズグループ。
グループ名の「Kep1er」は夢を掴んだという意味の「Kep」と9人の少女が1つとなり、最高のグループになるという意味の数字「1」を組みあわせている。
哲学者×写真家、知られざるボードリヤール。哲学と文化の高度に特異的で挑発的な分析を展開したユニークな思想家ボードリヤールの新しい像。-ボードリヤール撮影による写真8葉収録。
この本は昭和元年から昭和41年までの1年単位の毎日新聞東京本社写真部の歴史である。これは、写真部の使用カメラが東京オリンピック(39年)を境に、スピグラから35ミリカメラに切り変わり“新しい映像表現”になった時期でもある。したがって写真部の有楽町時代の歴史といってもよい。