幕府の足元を揺るがすきっかけともなり、江戸民衆たちが鯰絵の風刺とユーモア世直りの願望を表わした安政の大地震。関東大震災において壊滅的な打撃をうけながらも、秩序と冷静さを以て対処した東京市民たち。社会・政治に大きな衝撃を与え、次の時代への転換点ともなった二つの大地震をドキュメント風に描く。
地震国に造る建物や橋で代表される構造物の設計には、普通の力の他に、地震の揺れによる水平方向の力の考えが必要で、現在の橋等では総て地中に造られた橋脚の頭上で支持されている。このことが、地震力を受ける構造物としては極めて不合理なことである。この不合理さが、地中深く杭を打って立ち上げられる橋脚に理不尽な耐力を求める原因となっている。橋脚は、頭上に働く地震による揺れがひっくり返そうとする力と、地中に押し込もうとする力、水平にズリ壊そうとする力の三つの性質の違う力に耐えなければならない。これ等、力の三つの成分のうち、転倒モーメントが橋脚の存亡に一番の悪さをして、その設計を支配している。この転倒モーメントから逃れることのできる橋の提供であり、従来の高架橋の基礎部分は50%の費用で建設することが可能であり、高架橋全体の建設費の25%縮減が実現できる。
史料にはっきり記録された684年の白鳳地震から、2011年の東日本大震災までー甚大な被害をもたらした地震・噴火・津波・台風は、長くて数十年、短いときには数年刻みで日本列島を襲ってきた。しかし日本人は、どのような厳しい状況を経ても必ず立ち直り、歴史の歯車を前に回してきたのだ。そのたくましい歩みを、災害ごとに時代を追って概観していく画期的な歴史読み物。
未曾有の大災害、過酷な状況の中、被災者のために頑張り続ける保険人たちの想いを綴った唯一無二の証言集。
太平洋戦争末期、東海地方を襲った二つの巨大地震。戦時報道管制下、中部日本新聞は地元新聞社として何をいかに伝え、その役割を果たしたのか。被災者たちの体験談を紹介し、防災教育の促進と意識向上を呼びかける。
AMDA(Association of Medical Doctors of Asia)の人道支援活動は途切れない。「救える命があればどこへでも」民族、宗教、文化の壁を乗り越えて活動は続く。ハイチ・阪神淡路・東日本など、被災現場で展開されたAMDAの力と方法とは。
阪神・淡路大震災において「住民主権型」まちづくりが創造的復興を導いた経験をもとに、主権者である住民と行政が「協働」で計画を作り対策を講じることを提言する。
幕末にはじまった首都圏の大地震活動期は、関東大震災(一九二三)をもって終わり、その後、東京圏は世界有数の超過密都市に変貌した。しかし、まもなく再び「大地動乱の時代」を迎えることは確実である。小田原地震が七十年ごとに発生することを明らかにした地震学者がその根拠を明快に説き、東京一極集中の大規模開発に警鐘を鳴らす。