精神分析の創始者フロイトは、人間の心の大部分は無意識である、とし、日常生活において抑圧を受け、無意識界におしこめられた欲求が、錯誤行為あるいは夢として現われる、と説く。本書においてフロイトは、人間真理の根源に性愛衝動をおき、夢における象徴的表現、夢における知的業績、夢の中の情動、願望充足について、などを論じ、人間の深層心理と夢の関係を興味深く展開する。
精神医学者としてヒステリーの治療に携わり、精神分析の方法を確立、精神の深層の無意識界に光をあて、人間心理の源をさぐったフロイトの学説は、ひろく人文科学の諸領域、特に二十世紀文学に多大な影響を及ぼした。本書は、日常生活において無意識に抑圧されている欲求と“夢”との関係を分析、実例を詳査してその解釈により、人間心理を解きあかそうとする名著である。
空にはすさまじい赤光があった。イギリスは片田舎の山奥の、その赤光に燃えたつ古代ローマ人砦に独り遊ぶルシアン・テイラーは、作家になる夢を紡いで暮らしていた。だが、こんな田舎にいて何ができよう。夢に憑かれた彼は故郷をあとにする。牧神が逍遥する山々からサバトの街ロンドンへ…。一人の青年の孤独な魂の遍歴を描く、神秘と象徴に満ちた二十世紀幻想文学の金字塔。
漱石には小品とよばれる一群の短篇がある。小品とはいうがその存在は大きく、戦後の漱石論は『夢十夜』の読み直しから始まったとさえ言われる。ここには荒涼たる孤独に生きた漱石の最暗部が濃密に形象化されている。
いかに夢を見、いかに生きるか?夢に対する態度によって、夢も変われば人間もかわる。夢分析の大家が、その臨床経験のすべてを傾け、高僧明恵の「夢の記」に自己実現の軌跡を追う。宗教と科学の接点に立つ500枚の労作。
夏の夜、深い森の中にくりひろげられる妖精たちの幻想にみちた魔術の世界。2組の男女のおりなすロマンチックな恋模様。これは、日本でももっとも人気のある喜劇のひとつにかぞえられる。斬新な対注形式、各幕場あらすじつき。
ある日、森へひるねにでかけたダヤンのまえに、ゆめをたべるというばくがあらわれました。「やっぱりダヤンのゆめがいちばん。みたこともない、きいたこともない味。いちどたべたらやめられない。」そんなふうにばくにいわれて、ダヤンはすっかりとくいになって、「そんなら、ここでいっしょにくらせば。」こうして、いっしょにくらすことになったばくとダヤン。さいしょのうち、きれい好きでせわ好きなばくに満足していたダヤンでしたが…。ゆめをたべるばくと、ねこのダヤンのきみょうな友情物語。
その名前とはうらはらに、夢見通りの住人たちは、ひと癖もふた癖もある。ホモと噂されているカメラ屋の若い主人。美男のバーテンしか雇わないスナックのママ。性欲を持て余している肉屋の兄弟…。そんな彼らに詩人志望の春太と彼が思いを寄せる美容師の光子を配し、めいめいの秘められた情熱と、彼らがふと垣間見せる愛と孤独の表情を描いて忘れがたい印象を残すオムニバス長編。
彩代はたんぼの中の母さんと父さんをかっこう悪い、といったが、父さんの雨にぬれた背中を見ているうちに、明はいいなあと思えてきた。たんぼ一面に広がった稲の成長を、泥をかきむしり、きりひらいていくような、力強い気配が感じられる。霧のような雨も、青々としげった稲も、父さんがいるので美しく見えた。小学中級から。
ライト兄弟の名は、飛行機の発明者として、世界じゅうの人びとに知られています。空を飛ぶことは、大むかしからの人類の夢でした。ライト兄弟も子どものころからの夢を実現させようと、飛行の原理を学び、何度も失敗をかさねて、世界ではじめての動力飛行に成功したのです。
ウサギさんや、コアラ君の顔があったり、帽子をかぶった子どもの顔に似ていたり…どの写真も、木の芽の冬姿を拡大して写したものです。
夢の木坂駅で乗り換えて西へ向かうと、サラリーマンの小畑重則が住み、東へ向かうと、文学賞を受賞して会社を辞めたばかりの大村常賢が住む。乗り換えないでそのまま行くと、専業作家・大村常昭が豪邸に住み、改札を出て路面電車に乗り、商店街を抜けると…。夢と虚構と現実を自在に流転し、一人の人間に与えられた、ありうベき幾つもの生を深層心理に遡って描く谷崎潤一郎賞受賞作。