平安時代。闇が闇として残り、人も、鬼も、もののけも、同じ都の暗がりの中に、時には同じ屋根の下に、息をひそめて一緒に住んでいた。安倍清明は従四位下、大内裏の陰陽寮に属する陰陽師。死霊や生霊、鬼などの妖しのもの相手に、親友の源博雅と力を合わせこの世ならぬ不可思議な難事件にいどみ、あざやかに解決する。
「典座教訓」には、禅の修行道場における食を司る典座の職責の重要さが記され、この典座が調理してくれた食事を頂く修行僧の心得を示したのが「赴粥飯法」である。道元は、両者の基本にあるものこそ仏道修行そのものであると力説する。飽食時代といわれる昨今の食生活を省みるとき、本書のもつ現代的意義は大きく、多くの示唆に富む必読の書といえよう。食と仏法の平等一如を唱えた道元の食の倫理。
戦国末期、天下の傾奇者として知られる男がいた。派手な格好と異様な振る舞いで人を驚かすのを愉しむ男、名は前田慶次郎という。巨躯巨漢で、一度合戦になるや、朱色の長槍を振り回し、敵陣に一人斬り込んでいく剛毅ないくさ人であり、当代一流の風流人でもあった。そして何より、自由を愛するさすらい人でもあった。故あって、妻子を置き旅に出た男の奔放苛烈な生き様を描く時代長編。
都会からはなれた小さな入江で出会った老人と新婚の夫婦。その夜、老人が見たのは、新婚の2人が殺しあう夢だった。1年後、老人はまた同じ夢を見た。不思議な夢を気にした老人は、名産品を2人に送って様子をみる。礼状が届き、何事もなかったかと、安心する老人。この繰り返しが、何年も続いたのだが…。夢想と幻想の交錯する不思議な世界にあなたを誘う夢のプリズム30編。
喀血に襲われ、世紀末の頽廃を逃れ、サモアに移り住んだ『宝島』の作者スティーヴンスン。彼の晩年の生と死を書簡をもとに日記体で再生させた「光と風と夢」。『西遊記』に取材し、思索する悟浄に自己の不安を重ね,〈わが西遊記〉と題した「悟浄出世」「悟浄歎異」。-昭和17年、宿痾の喘息に苦しみながら、惜しまれつつ逝った作家中島敦の珠玉の名篇3篇を収録。
「死んだら、埋めてください。大きな真珠貝で穴を掘って」そう言い残して逝った女の墓の傍で、男は百年待った…。不可思議な幻を紡ぐ「夢十夜」そして、美しさを追い、心のやすらぎを求めた「草枕」。絵画的で詩情あふれる文章の中に“理智の人・漱石”の側面をも覗かせる名作。
夢にも固有の歴史があった。夢を独自なうつつとして信じた「古代人」の文化と精神の構造のなかに、「忘れていた今」を想い起こす独創的な精神史。
ちょっとおとぼけ則安くんはいつだって大まじめ。ところが、則安くんが動けば動くほど大さわぎに。さて今回はゆめのお話だから、しずかにみれる…。と思ったら、またまたすごいことに。
勇猛果敢にして慈悲の心のあふれ、今日なお語り伝えられる多くの逸話を残した異色の戦国大名・加藤清正。戦乱の世には剛毅なる武将として名を馳せ、天下治まってからは、築城・治世の名人としてその才能を讃えられた名君。波乱に富んだ全生涯を壮大なスケールで描き、併せて秀吉による朝鮮出兵の知られざる側面を明らかにする。
「悲しいではないか」かつて明治の青年たちは、顔を合わせるとこう挨拶したという。「悲しいではないか」、悲しみを知っている人間だけが、本当の喜びを知ることができる。「歓ぶ」「悲む」「笑う」「飾る」「占う」「買う」「歌う」「想う」-。日々の感情の起伏の中にこそ生きる真実がひそんでいます。常に時代を予感し、人の「心と体」について深く洞察する、日本を代表する作家からあなたへ、元気と勇気が出るメッセージ。