明治以降の近代教育制度は、身分による差別撤廃と引き換えに、熾烈な学歴社会を生んだ。しかし学歴社会は、知識(暗記)偏重の学力テストによって子どもたちの豊かな思考を奪ってきたばかりか、立身出世を目指す地方の若者を都市に一極集中させ地方の衰退をも生み出した。多角的視野から今日の日本の教育制度に切り込み、知識を蓄えるだけの「これまでの学力」から、知識を用いた思考法という「これからの学力」への転換を提言する、気鋭の一冊。
人生を一日にたとえ、24時間で表現することがある。有名なのは、実年齢を3で割る方法である…私ががんの告知を受けたのは、50歳であった。3で割ると、16(余り2)であり、私の人生時計は、16時40分であった。クリスチャン臨床心理士ががん患者としての自分を物語る人生論エッセイ。
地下生活の考察と未来都市の姿、宇宙人がエイリアンふうイカタコ系でしかもぬらぬらぐちゃぐちゃの謎、長さ一キロのアナコンダがいたら、もし服が発明されていなかったら…?世界の暑い場所、寒い場所ー辺境の旅の生々しい経験に、科学ノンフィクションの知識を加えてみた!行動派作家・椎名誠が、「もし…が…だったら…」という思いつきをアレコレひねりまわして考えた、やわらか頭のくねくねSFエッセイ!
P38は高空から偵察、B25は低空で乱射を加え、B17、B24は爆弾を投下する。炎天下、防暑帽、半ズボンに地下足袋、上半身裸で円匙、十字鍬を手に、弾よけの鉄帽を背に負い、滑走路の弾痕修理、誘導路や掩体の整備にあたった基地隊員の苦闘を描くー飛行場勤務に従事した第二十二飛行場大隊の知られざる記録。
日本海軍の真珠湾攻撃から3ヵ月。昭和17年3月、ジャワ島の蘭印軍が無条件降伏し、蘭印作戦は予定より早く終了した。ジャワ島方面での作戦を終えた第二航空戦隊はセレベス島に帰投する。空母赤城の士官室で、インド洋制圧作戦の説明をする第一航空艦隊司令長官南雲忠ー。インド洋作戦は英国東洋艦隊に加えて、陸上基地に展開する航空機も相手とする厳しい戦いとなる…。昭和17年3月26日、空母蒼龍艦橋で山口多聞第二航空戦隊司令官が厳しい表情で前方を見つめる。空母赤城、蒼龍、飛龍、瑞鶴、翔鶴を中心とする機動部隊が出撃。書下ろし長編仮想戦史。
そもそも、民主主義とは何か?民主主義は理にかなっているか?日本型民主主義は可能か?民主主義の歴史教科書。
やはり出雲は特別だった!全国で唯一ほぼ完本として残る『出雲国風土記』や数多くの青銅器。最新の研究成果からみえる古代出雲の魅力とは?第一線で活躍する研究者によるリレー講座。
コツをおさえればこんなに高く・遠くへ跳べる!助走から踏み切り・着地までのフォーム、トレーニング法まで、大会で勝つための「答え」がここにある!
日本海軍の真珠湾攻撃から3ヵ月。ジャワ島の蘭印軍が無条件降伏し、蘭印作戦は予定より早く終了した。機動部隊は引き続き、インド洋制圧作戦に向かう。昭和17年3月、山口多聞率いる第二航空戦隊がインド洋に出撃。史上初の空母機動部隊同士による決戦で、英東洋艦隊の撃波に成功した。ドーリットル飛行隊に衝撃を受けた陸軍は、海軍のミッドウェー攻略作戦を推進する立場に変わる。そして、連合艦隊はミッドウェー攻略日を6月7日と定めて作戦案をまとめる。山本五十六は、第一機動部隊司令官に山口多聞、第二機動部隊司令官には角田覚治を指名した…。
乞食上がりの経歴故に同門の多くに疎まれながら、卓抜な詩境と才能で芭蕉の寵愛を格別に受けた蕉門の異端児。