国鉄の新大久保駅に勤務し、昭和20年に二代円歌に入門し、45年に三代目圓歌を襲名した圓歌の、芸能40周年企画CDが4枚同時発売。昭和59年にテープで発売されたものの初CD化で、選りすぐりの落語が楽しめる。
国鉄の新大久保駅に勤務し、昭和20年に二代円歌に入門し、45年に三代目圓歌を襲名した圓歌の、芸能40周年企画CDが4枚同時発売。昭和59年にテープで発売されたものの初CD化で、選りすぐりの落語が楽しめる。
国鉄の新大久保駅に勤務し、昭和20年に二代円歌に入門し、45年に三代目圓歌を襲名した圓歌の、芸能40周年企画CDが4枚同時発売。昭和59年にテープで発売されたものの初CD化で、選りすぐりの落語が楽しめる。
メーテルリンクの同名の戯曲に基づく3人の作曲家の作品を収録。作曲家の強烈な個性が、同じ素材を全く別個の音楽世界に変容させてしまうことに改めて驚かされる。メータは各々の作品の特徴を踏まえ、持ち前の表現力で劇的性格を力強く描き出している。
圓朝の名作といわれる『牡丹灯籠』を圓生が再構成し、生真面目にテキストのようにじっくりと語っている。何とも粋な「梅にも春」の一節を出囃子に使い、さらに[2]では幽霊ものだけに『御札はがし』の出囃子・送り囃子には「青柳」を使っている。
『圓正百席』もいよいよ佳境に入り、前作から「人情噺集成篇」となった。本作の「牡丹燈籠」は、巧みな人間描写が映える演目だ。圓正ならではの艶やかな描写が素晴らしい。圓正の人情噺は、圓正の十八番であるのと同時に人情噺の極めつけでもある。★
圓生が三遊亭圓朝作の原本を借り受け、稽古を重ねて高座にかけた噺。画の師・菱川重信の若い妻に魅せられた弟子が、師の不在中に思いを遂げ深い仲になり、師の殺害を企てる。細やかな話芸・描写にスリルと笑いで引き込まれ、みごと仇討ちまで一気。
歌舞伎で有名な話のオリジナルにあたるもの。わかりやすくていねいな語りによってストーリーのおもしろさをまず堪能できる。演じわけの妙は間合いの技であるからして、ここまでやれば子供にもわかるだろう。それこそが名人のおそろしさだと知る。
圓生百席もいよいよ大詰めに近づき、人情噺の大作が登場してきた。人物の演じ分けに細心の注意をはらった噺家だけに、ここでも遊人(圓生は“あすびにん”と正しく発音)はそれらしく、武士も階級によって口調を変える。そのあたりも意識して聴いてほしい。
江戸を案内するはずの番頭が、逆に若旦那の善次郎に江戸の名所の由来を講釈されてしまう。ガチガチの堅物の若旦那が吉原の松葉屋瀬川と馴染みとなり、半年で八百両使い、ついに勘当される。その若旦那のもとに瀬川が郭を抜けてくる。73年12月の録音。
落語の中でも人情話の長編「双蝶々」を収録。悪態をつく子供や酔っぱらいを演じさせると圓生のうまさが光るが、この噺は格別の出来映え。当時の風俗描写や今では使われることが少ない温かみのある言葉まわしも趣がある。年輩の落語ファンなら必聴。
占いの名人白井左近から死の宣告を告げられた伊勢屋傳次郎は、その後施しにつとめたため、豪勢な葬式までやったが生き延び、身代を使い果たす。零落した傳次郎にその後ふたたび……という噺。こういう人情噺を語らせたら圓生の右に出る人はいないなあ。
これも圓朝の作品で、決して明るい噺ではないし、この2枚でもまだ“序”という長尺ものだが、聞き手をダレさせることなく一気に聴かせるところはさすが。ここでも登場人物の台詞廻しの巧さがリアリティを感じさせる。根津の廓の描写も見事なものだ。
圓朝が自作の芝居噺「累ヶ淵後日怪談」を明治になって素噺「真景累ヶ淵」と改作・改題して演じたのを圓生が。旗本深見新左衛門が金貸し宗悦を殺し、後に深見の息子新五郎が宗悦の娘お園まで殺してしまう噺。真景は明治の流行語“神経”の転換だという。
古今の逸品、圓生百席のCD復刻シリーズ。本巻には得意の人情噺、畢生の名人芸「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」から2話が収められている。淡々とした語り口ながら生き生きとした情景が描かれ、新吉が眼の前で歩き出すような臨場感はさすがである。
六代目圓生は最後まで圓朝の影に挑み続けた。この大作を自分の藝で後世に残したいという気迫には鬼気迫るものがある。その意味で{昭和の名人}という評は不満だったかも。昭和という冠を外した{名人}の称号こそ、この人が求めていたものではないか。