いま、世界文明の中心は日本の真上にある。この大転換期を担うわれわれの使命とは何か。感性論哲学の提唱者が説く生きた指針。
本書は、具体的な建築物や場のあり方を中心に、我が国の神社および寺院における宗教的営為の一端を明らかにしようと試みたものである。従来の寺社の研究においては、古代の国家および上層貴族層の造営になる寺社の歴史、平安時代以後の宗教的権門の動向、鎌倉新仏教の思想と発展などに関する研究が主流をなしてきたが、本書の主題はそれとは異なる。社会階層においては、中流以下の庶民層の信仰を主眼とし、仏教の宗派の区別や寺社の区別にも拘泥しない。現在の我々の常識のなかにある寺院と神社との区別は、明治の神仏分離の影響を受けたものである。前近代の寺社の概念にはそれとは異なる側面があったことは、特に第三章で扱った題材によくあらわれている。
この世で実話ほど不思議なものはない!!世界中で実際に起こったちょっと奇妙で、ちょっと不思議で、ちょっと笑える、300の実話。
この国を脅かす秩序崩壊と精神の頽廃ー。我々に残された「最後の選択肢」とは何か?論戦のなかに浮上する揺るぎない指針。
長年にわたって青年期精神医学をリードしてきた著者の、理論と臨床両面からのアプローチを集大成する論集。摂食障害に関する先駆的な研究や青年期治療をめぐる多角的な考察、さらに分裂病や様々な神経症の精神療法論など、現代が精神科臨床の場に投げかける課題と格闘し続けてきた軌跡を収める。
今回のアリスは、カジュアルな服装をした、愛らしく生き生きとした姿です。おなじみのキャラクターも、あたたかいユーモアで見事に描きわけられています。美しいカラー挿画を多数収めた豪華愛蔵版。
『字統』『字訓』『字通』の著者が自らの学問人生を綴った「私の履歴書」と、時空を逍遙遊する11の対話。
本書は、戦後の中世史研究において、最初はその重要性が認識されず、ようやく1970年代から研究が盛んになりはじめた日本の都市史研究のなかで、特に都市共同体についての実態と内部構造についての解明を、研究課題としたものである。
兄・頼朝に追われ奥州に非業の死を遂げたはずの源義経が、モンゴルに渡って成吉思汗となった?-病に倒れた神津恭介の入院生活の退屈しのぎにと、友人・松下研三が提示した謎は、天才探偵の頭脳を刺激した!邪説としてしりぞけられてきた問題に、一つ一つ検証を重ね、論理的説明を加えていく神津の大胆な推理が導き出す歴史の真相とは?純然たるロジックで展開される歴史ミステリーの傑作。
私立清明学園2年の寿八澄は、浅草育ちで大のお祭り好き。そんな八澄は、お祭りの三日間だけ顔をあわす古川雅人のことが気になっていた。夜祭りのあと、二人は誘い合って神社の境内へ行き、雅人に抱きしめられた八澄は“一人よりも二人でいたい。二人よりもひとつになりたい”と想った。しかし、別れも告げずに帰って行った雅人。この次会えるのは一年後?雅人のことを考えると、せつなさが募る八澄だった…。
CDA2は、新鮮な人尿から化学的に抽出・生成して、注射薬やカプセルにしたものです。CDA2は、ガン細胞分化誘導作用があります。CDA2が救った末期ガン41症例掲載。
著者は戦前、九州田舎の一少年が志を抱いて上京。しかし角帽の夢ははかなくも破れてしまう。だが、さらなる夢をつかむためジャワ島へ行き、財を成すが、大戦勃発のため、またしても総てを捨てざるを得なくなる。無一文から立直り、何とか平穏な生活にこぎつけるまでの話である。
本書は、中国、北朝鮮、ロシアが国境を接する図們江河口に進行中の国際協力による開発・図們江地域開発を、中国吉林省延辺朝鮮族自治州を中心に検討し、中国朝鮮族のように国境の向こう側にも同民族が集居する跨境民族の居住地域の開発について考察を試みたものである。
本書は「北のそば屋さん」(平成10年北海道新聞社刊)の続編である。本編掲載は116店だったが、続編は新たに202軒を選んだ。道内そば店は俗に1500軒といわれるが、そのうちの2割強を網羅した形である。
人間の欲望を衝き動かしているものが何であるかを論じることは、資本主義理解には本来不可欠なはずと言わねばならない。だが一体、それをどのように論じればよいのか。経済学がこの役割を完全に放棄している以上、この問題の糸口は、経済学ではなく、むしろ精神分析や哲学、心理学といった方面に求めざるを得ないであろう。本書では、きわめて不完全であることを承知の上で、ある種の精神分析や哲学的議論の助けを借りてこの問題にアプローチする。