本人出演のCM曲を多数収録した約1年半ぶりのニュー・アルバム。アップ・テンポでポップな、リリースされたばかりのシングル「Plastic Soul」のアルバム・ヴァージョンも収録。
本書は、ほとんどの事例において具体的であり臨場感の伝わってくるものとなった。しかも、見事な成功例ばかりではないところも、本書の現実味を増している。「暴力」に対して各執筆者が忌憚なくそれぞれの場での実践を語っている本書は、暴力的な青少年に対処する際の参考になるものである。
本書は思春期の暴力に関する対応と援助の要諦を説いた実践的な臨床書である。暴力を振るう若者を理解するためのキーワードとして、「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」の二つをあげ、臨床家としての視点から、今子どもたちの心に何が起きているのか、どうすれば立ち直らせることができるかを、事例に沿って詳述した。子どもの暴力のみを取り上げることで親の暴力を見逃す危険性を指摘し、暴力を生む条件としての虐待、PTSD、憑依・多重人格、また治療困難な来談しないケース、重症例のための入院治療の実際までも紹介している。
本書では、生理的特性を中心に展開されてきた栄養管理にとどまらず、食糧難の時代から飽食の時代を迎え、生活習慣病が危惧される今日、生活習慣の現状と問題点についてどう対応していったらよいのか、あわせて栄養管理の観点から考えてみた。
存在の意味は時間であり、時間とは私自身である。自己と他者の共通の場所としてのあいだ=いまが未来と過去を創り出し、時間の流れの源泉となる。分裂病の本質をアンテ・フェストゥム的意識における絶対の他の不成立にみる木村精神病理学の真骨頂。
児童虐待はあまりにも緊急的であり、かつ多くの人びとに対して破壊的である。そして保健婦や保育士、教師など子どもに関わるフィールドで働く人びとが、必ずといっていいほどしばしば巻き込まれる出来事である。こうした関係者は、虐待に対する基本的な関わり方を知らなくてはならないが、しかし、それぞれが単独ではとうていこの問題に取り組めない。積極的に協力・協調する関わり方を知った関係者が増えてゆかなくてはならないのである。ここで扱った事例にはいずれも多くの関係者が登場し、連携と協同作業によって虐待という難しい問題に取り組んでいる。
(少年たちの)ショッキングな事件は、特異ではあるが、決して一般の子どもたちと無縁な世界の出来事ではない。子供たちに今、何が起きているのか、どうすれば「生きる力」を育むことができるのか。何がそれを阻んでいるのか。取材班は、時代がもっともよく反映される「事件」の現場に入り、その「理由(わけ)」を探ることから、取材をスタートさせた。
「家庭」+「学校教育」+「社会システム」気鋭の精神科医が3つの観点から子どもの心理を映し出す。
本書は、小児・思春期精神医学の臨床で遭遇することのあるさまざまな症例を記載して、精神医学的面接に関するさまざまな技法を具体的に学ぶことができる。
各ライフステージや労働・スポーツなどの状況における適正な食事のあり方を学ぶ。食の面から健康を管理するプロフェッショナルとしての根幹をなすものである。
21世紀の幕開けを機に、糖尿病をもつ小児および思春期の青年のQOL向上を目指して、糖尿病管理のガイドラインを示したものが本書です。本書の内容は必ずしもすべてが学術的証拠に裏づけされているわけではありませんが、日本の小児・思春期糖尿病専門家の臨床経験を集積したコンセンサスガイドラインといえます。
糖尿病の患者さんや家族へ療養指導していると、いろいろな質問や疑問にうまく答えられず悩んだり迷ったりしたことは、医師に限らずあらゆる医療スタッフが経験されていることと思います。本書は、普段の診療時に医師、看護婦、薬剤師、栄養士、臨床検査技師、運動トレーナーが患者さんや家族からいろいろ質問された中から116問の質問とそれに対する答えと解説、ポイントをまとめたものです。
本巻のテーマは「思春期・青年期」である。20世紀最後の10年にブレークしたわが国の学校教育におけるLD課題を土台に、21世紀における生涯学習体系の中でのLD課題に目を向けた。
昭和初期・東京-。不器っちょで筋骨薄弱、おっちょこちょいで鼻っ柱の強い江戸っ子らくだ君が、超ハイカラな中学校に入学した。個性的なクラスメートや先生に囲まれて、ケンカに恋愛、受験、性への目覚めなどを面白おかしく経験していくらくだ君。…だがやがて日本は果てしなき戦争の時代へと突入して-。昭和56年に出版された『学徒兵らくだ君』で人気を博した“江戸っ子らくだ君”が、ふたたび平成の世に帰ってきた。
小児の食生活についての知識と技術を習得するための一冊。単に、食生活の知識と技術だけが述べられるのではない。食生活の基盤となっている子育てとの関係、とくに生活全般のなかで、子どもにいかに適切に食べさせることができるかを習得できるように解説されている。
どんな人でも、人を信じたいという気持ちがどこかにあるのではないか。他人というよりも、実際は他人を信じることができない自分自身に対して、信頼感をもてなくなってきているのが今の世の中なのではないだろうか。自分を信じられない、自分を大事に思えないという不安や苛立ちこそが、今、私たちのこころの奥底に深く根を張っている、そのものなのではないだろうか。では、人や自分を信じるというのはどういうことか?誰かを信じる強さというものがあるのなら、それはどのように発達していくのか?また、傷ついてしまった信頼感があるとすれば、それはどうやったら回復に向かうことができるのか?本研究は平成10年3月に筑波大学で博士(心理学)号を取得した論文「思春期以降における信頼感の発達」をもとに、補章「幼児期における信頼感の発達」を加筆し、まとめたものです。