私、山田葉月。1メートル54センチなの。だけど、彼の方は1メートル80センチもあって「葉月には成長期がなかったもんなぁ」なんて、私の頭をなでるのよ。彼、桂木啓友。サッカー選手で、エリート校の倉野高校へ進み、私は一条高校。別れ別れの高校生活になって、私にはバスケの藤井先輩が迫ってきたり、彼には白鳥由香里が想いを寄せたりだけど、でも私、やっぱり啓友が一番だなあ。
20世紀最高のチェロ奏者・指揮者カザルス。90年を超えるその生涯で、第1次大戦、スペイン戦争、第2次大戦を体験した彼は、限りなく人間を愛する一方、抑圧者とは決して妥協しない闘う芸術家でもあった。ヴィクトリア女王からケネディ大統領までの、幅広い交遊の記録は、そのまま歴史の証言といえる。
多発する民族紛争、強まる分離独立運動、憎しみと反目の大地・ソビエトにいま何が起こっているのか。フォト・ジャーナリストの目がとらえた衝撃のルポ。
未知の地球史を公表し魂の構造、神の存在を論証する。
冷たい雨にも、強い風にも逆わずに野に立つお地蔵さまは、人びとをしあわせにしたいと願っておられます。その教えをやさしく説くのが本書です。
あたし、矢野久美子。16歳。いま、同級生の浩司クンとつき合ってるの。すっごく優しいの。けど、あたしの前に、大学生の雄馬さんが現れて、気持ちがビミョーに変化してきちゃった。バレンタインの本命チョコ、いったいドッチに渡せばいいの?その雄馬さんには、あたしの知らないヒミツがあって…。
傷ついたぶんだけ、やさしくなれる。失恋や、つらい恋をのりこえて。勇気を出してもういちど恋するヒントを、あなたへ。
世間に、倫理に背いた男と女に、突然不幸が襲った。妻以外の愛する女が死を目前に迎えた時、家庭を持つ男にいったい何ができるのだろう。全てをかなぐり捨てて、優しさと限りない愛を捧げた男と、その哀しく切ない愛を信じた女。二人がゆきつく果てを描いた悲恋物語。
九・一一同時多発テロで肉親を失った一〇〇以上の家族によって構成されている「ピースフル・トゥモロウズ」。彼らは、報復や戦争ではなく平和的な解決を模索・提案する。思想的背景も、年齢も家族構成も異なる多様な人びとが、困難な状況下、時に迷い、論争し、また資金難にあえぎながらも、いかにグループを結成し、どのような活動をしていったか、その最初の一年半の思考錯誤を克明に綴った希望のドキュメンタリー。
人が体験する打ちのめされるような喪失感(悲しみ)は、共感的な聴き手に話す(言葉を与える)ことによって癒やされ、人生のなかに主体的に位置づけることができる。また、喪失をその後の人生の糧にもできる。本書は、悲しみを表現することの治療的な価値を、文学や体験記など、さまざまな引用と心理学の学説をもとに具体的に論じている。