●日本のケーキ
どこか懐かしく、いつも新しい!cake(英語)、gateau(仏語)、kuchen(独語)……。
日本では、洋菓子、スウィーツ、ケーキ。呼び名は違っても、
小麦粉とバターと卵と砂糖をつないで作る甘い菓子の魅力は、世界中の人々を魅了してきました。
ヴァレンタインでチョコレートの話題が高まる2月、あらためて
日本生まれのケーキの魅力に迫ります。
●世紀の三大襲名 新高麗屋
戌年は新しいことが始まる年なのだそうです。そんな平成30年、
高麗屋三代襲名披露公演が歌舞伎座で始まりました。
37年前にも行われた、直系三代での同時襲名。それがどれほど難しいことなのか。
なぜ滅多に起きないことなのか。それを、この1年の彼らを追い続けて肌で感じることになりました。
いよいよ始まった世紀の襲名。3人とそれを支える人々の思いを
ず、ず、ずいっと、ご覧ください。
●南の島の雛祭り
女子の健やかな成長を祈る雛祭り。雛人形に白酒や桃の花などを供えて
祝い膳を囲む風習が思い起こされますがじつは地域ごとにさまざまな風習があり、時代とともに形を
変えています。中国の影響を受けつつ、独自の文化をもつ南の島では旧暦3月3日、白砂や穢れを祓う
“浜下り”を行います。潮干狩りをして「3月菓子」をいただく心浮き立つ一日です。
奄美大島に渡った久松保夫コレクションの雛人形とともに南の島の雛祭りをお伝えしましょう。
●江之浦測候所茶会記 亭主・杉浦博司
現代美術作家の杉本博司さんが構想から20年を経て昨秋オープンさせた
「小田原文化財団 江之浦測候所」。その茶室披きの模様を、作家の朝吹真理子さんが綴ります。
●春の靴、春の足音
暖かい日差しが街へ、公園へと降り注ぐ季節を待ちわびながら、足元のおしゃれ支度を始めましょう。
ご紹介するのは、今季のトレンドをまといながらも、歩きやすさとエレガンスを
兼ね備えた3タイプの靴。軽やかに春の散策へと誘ってくれるパンプス、
フラットシューズ、スニーカーを揃えました。
●国産オリーブの底力
オリーブオイルだけでなく、葉や枝、樹皮まで……。紀元前から“生命の樹”
と重用されてきたオリーブは、樹のすべてが美容や健康に魅力的な恵みをもつと
近年の研究で明らかにされつつあります。
オリーブの“品質”と、美容や健康への“価値”、
そして日常に寄り添う取り入れ方について、いまあらためて考えてみました。
●更年期以後の「レスキューホルモン」
女性の守り神ともいわれる女性ホルモンは閉経とともにほぼゼロになります。
しかし、私たちの体内には、女性ホルモン以外にも、心身の健康や美を司る、
数々のホルモンがあります。失われゆくものを嘆くのではなく、
残されたホルモンを最大限に生かそう!更年期以降の私たちの心と体を救う、
5つのホルモンを味方につけましょう。●日本のケーキ どこか懐かしく、いつも新しい! cake(英語)、gateau(仏語)、kuchen(独語)。
日本では、洋菓子、スウィーツ、ケーキ。呼び名は違っても、小麦粉とバターと卵と砂糖をつないで作る甘い菓子の魅力は、世界中の人々を魅了してきました。
ヴァレンタインでチョコレートの話題が高まる2月、あらためて日本生まれのケーキの魅力に迫ります。●世紀の三大襲名 新高麗屋戌年は新しいことが始まる年なのだそうです。そんな平成30年、高麗屋三代襲名披露公演が歌舞伎座で始まりました。37年前にも行われた、直系三代での同時襲名。それがどれほど難しいことなのか。
なぜ滅多に起きないことなのか。それを、この1年の彼らを追い続けて肌で感じることになりました。いよいよ始まった世紀の襲名。3人とそれを支える人々の思いを
ず、ず、ずいっと、ご覧ください。
ぼく・イラストレーター・26歳-佐野良子・元小劇団女優・28歳。2人の愛の行方を描く渾身の書下ろし恋愛小説。
かやの父親の突然の死と、これを乗り越えて生きる姿。
ボクは恋に落ちた。快楽が純情と激しく結びつく体験だ。そして心を病んで逃げる彼女への愛を貫く作戦をたてたー。童貞問題を抱えた帰国子女、“わがまま10優しさ11のブルペンガール”とおかしな脇役を揃え、東京、ニューヨークを舞台に男の心の成長と恋の成就を描く。本当の恋に胸焦すキミへの熱いエールです。
100件を超える事例をとおして、「個人」と「メディア」の関係を問う意欲的な試み。
かつての日本人がもっていた-やさしさ、美しさ、つよさ、心のよりどころ。行動の核となっていたものをさぐり、現代人の生き方を問う。
二十世紀「森の生命の大虐殺時代」から二十一世紀「森と人とのこころのいとなみを取り戻す時代」へ。樹齢1500年名桜淡墨桜を甦えらせた林の本。
没個性的平等主義から個を重視した対等主義へ。学校再生の展望が開ける本。
豊饒の海、移ろいゆく川の表情、山々の森が生みだす水の物語。
買春制度を問うことなしに、性的自己決定権を女性の人権として主張することはできない。だが買われる当事者性を抜きに、どのように問えるのか。本書は、女性の身体を闇の中に置いてきた買春保障システムを歴史的にたどる一つの試みである。
古代(イザナミ)から世紀末(コギャル)まで。社会の規制を巧みにかわしながらことば遊びを愉しむ女たち。