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日本とアメリカは独立国家と認めた。日本はそのために戦った。それでも朝鮮は自らを改革できなかった。近代東アジア関係の原点となった日清戦争期を米国アジア外交の視点を加えた新たなパラダイムで読み解く。
太平洋戦争の開戦決意と敗北の原因は日露戦争の華々しい勝利を遠因とした面が大きく、日露戦争の勝利の要因は、日清戦争の苦悩の勝利から得た教訓に学んだことにあった。海軍の艦艇設計思想と戦略思想を踏まえ、海戦図を基に帝国海軍の戦いを総検証!海からみた、大日本帝国の興亡史。
立憲国家となった日本は、日清戦争、北清事変、日露戦争とほぼ五年ごとに大きな戦争を繰り返し、台湾と朝鮮という二つの植民地を獲得した。帝国議会が開かれた国内では、藩閥政府と民党のせめぎあいが続く一方、国民統合の動きも見られる。「輝かしい明治」像を問い直しながら、「大日本帝国」が姿を現した世紀転換期の二〇年を描く。
戦端は日本軍の「朝鮮王宮占領」によって開かれた。「文明と野蛮の戦争」とされた日清戦争。はたして「野蛮」だったのはどちらか。日本・清・朝鮮の三者の視点から近代日本の方向を決定づけた「日清戦争」を多角的に描き、最新の研究成果をふまえつつその本質に迫る1500枚に及ぶ大作。
48歳、全財産を失ってからの大発明。「考えて、考えて、考え抜け。もっと知恵を出せ!」苦難の連続を乗り越え、日本の国民食ともいえるインスタントラーメンを作り上げた安藤百福の抜群の独創力と行動力。人生が変わる82の金言集付き。
日清戦争を経て植民地支配がはじまった一九世紀末。軍拡優先の財政運営のもと、帝国化はどのように進められたのか。藩閥と政党の対立と協調、地方が牽引した企業勃興、日清戦争から日露戦争へ。帝国化の起点に迫る。
歴史は司馬遼太郎では語れない近代日本が踏み込んだ日清戦争(1894年)からの50年戦争。知ることが認識になる。
日清戦争は東アジア国際関係の画期だった。しかしなぜそう言えるのか。宣戦布告までの過程で清韓宗属関係の解体を導き、下関条約の内容確定と三国干渉を含む履行プロセスで不平等条約体制の動揺と各国の相互関係の変質を促した日本外交の中核的役割を浮き彫りにし、戦争の位置づけを問い直す意欲作。
明治期に京都画壇を代表する画家として活躍し、日清戦争にも従軍した久保田米僊が、息子で画家の米斎、金僊と共に描いた戦時画報である『日清戦闘画報』11冊をオールカラーで復刻。写真に速報性がない時代の木版刷戦争グラフィズムを体感できる画期的な資料。くずし字は全文翻刻、漢文の読み下しや注記などを付し、読者が非常に使いやすい編集をほどこした、日清戦後120年記念出版。
日清・日露戦争にいたる東アジアの激動の歴史を、深く掘り下げてくわしく解説。まるで映画や舞台を観るような感覚でスイスイ読めてわかりやすい!歴史が“見える”イラストが満載!歴史を学びなおしたい大人から、歴史が苦手な高校生まで楽しめる。
500年続いた白人中心の世界を叩きつぶし、アジア解放の礎を築いた日清・日露大戦争。従来の「日本史」の理解では見えてこない、この戦争の「真実」を、新たな視点で検証する!
歴史の謎を追うジャーナリストである著者は官修『日清戦史』の草稿を読み解き、不都合な事実を隱蔽、改竄して陸軍が戦史を編纂していた証拠を見つけ出した。隠蔽は戦争の根幹部分に及び、編纂方針はその後の戦史にも踏襲され、戦争の実態は国民の目から遠ざけられた。『坂の上の雲』が描いた日露戦争の姿に多くの日本人が驚いたのもそのためであった。隠された事実とは何だったのか。埋もれていた歴史を掘り起こし百二十余年の歳月を超え日清戦争の実像に迫り、日本人の歴史観のあり方を問いなおす。
明治政府にとっての最大の課題は、外国とむすんだ不平等条約の改正でした。条約改正には、さまざまな困難があり、また日清・日露戦争による中断もあって、とても長い時間がかかりましたが、陸奥宗光や小村寿太郎らの努力によって、対等な条約をむすぶことができました。改正された日米通商航海条約が調印されたのは1911年、まさに明治時代がおわろうとしているころでした。
二つの戦争を勝利に導いた近代日本の政戦略を探る。