1901年生まれで今年(2001年)100歳になる著者が、映画とともに歩んだ自らの人生と発明されて100年ちょっとの映画の歴史を重ね合わせつつ描いた回想録。
光彩陸離編ー2001年12月をもって活動を休止するマリスミゼル。期せずして、この連載企画“ああ、無情”も三部作として遂に完結することになってしまった。2001年1月から12月までの1年間の連載に加え、Klahaを迎えての初のライヴツアー“Gardenia〜夜明けの庭園〜”、初の主演映画『薔薇の婚礼〜真夜中に交わした約束』の握手会、映画公開初日の舞台挨拶の模様を収録。そして、この連載を愛してくれたファンへメンバーからメッセージが…。彼らの苦闘と輝きをあなたの胸に。
小説「コレクター」「魔術師」「フランス軍中尉の女」と、その映画化作品の、小説論的「視点」概念による比較考察。さらにメディア変換の問題を鋭く追求した論考。
本書は、これから経営学を学ぼうとする読者に基礎的かつ標準的な知識を提供することに加えて、すでに経営学を学んできた読者に自分の知識を確認ないし整理するためにも役立つ内容のものである。
なぜ部長は必要なのか?変革型リーダーシップとは…すべての管理職が本当の「はげまし」に出会える本。
二人が築きあげてきた“映画美術の世界”を一挙公開。映画美術の驚き、感動を一冊に結集。
ゴダール、トリュフォー、アンナ・カリーナ、フランソワーズ・ドルレアック…。60年代、『カイエ・デュ・シネマ』誌同人として交友した、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の仲間たちの熱気を瑞々しく伝える、映画評論家・山田宏一の代表作。今、なお新しくあり続ける「ヌーヴェル・ヴァーグ」を知るために欠かせない古典的名著。完全版「ヌーヴェル・ヴァーグ年譜」付。
ラジオ劇演出者・溝口健二、画家・黒沢明、写真家・小津安二郎…。異なる芸術、メディアの交錯に分け入って、近代日本の文化変容を問う「もうひとつの映画史」。
二〇歳のひらめきはどのように実現され、急成長したのか。参加者四万人、観衆二〇〇万人ーわずか一〇年で一大イベントに。自由な祭りの基礎は自主財源と危機管理。祭りは街づくりの起爆剤。街中が活気づき、人はより自由になる。祭りは「世代間の架け橋」-老いも若きも一緒に働く効能。
映画「ウルトラマンコスモス2」に登場する、新ウルトラマン「ジャスティス」や、新怪獣サンドロス、レイジャのひみつが、バッチリわかる超ひゃっか。
コンテンツビジネスの会計について、Q&A形式で知りたい内容がすばやく分かる。コンテンツ制作から配信まで、コンテンツビジネスに関係するすべての企業に必携の一冊。
アンドレイ・タルコフスキーは『イワンの子供時代』(『僕の村は戦場だった』)で長編デビュー、その後『アンドレイ・ルブリョフ』『惑星ソラリス』『鏡』『ストーカー』を旧ソ連で、ヨーロッパで『ノスタルジア』『サクリファイス』を作り上げたところで、1986年、パリに客死した。多いとは言えないこれらの映画は、作家の没後も、見る者に強く静かな衝撃を与えてやまない。難解といわれ、宗教的といわれながら、イメージの叙事詩として開かれた世界の魅力はどこにあるのか?新しい世代にとってタルコフスキー映画は、現実世界との対話の方法を見つける一規範になるかもしれない、と考える著者は、年来の研究をもとに全作品の技法とテーマ展開を精緻にたどりつつ、来るべき時空への思いをこめてこの一冊を書いた。
焦土にバラックが建つ終戦直後の東京。「変わっていく街を記録しておきたい」と、色鉛筆やペンを手に、ひたすら町を歩く二人の若者がいた。後に、黒沢明作品など数々の傑作映画を支える美術監督、村木与四郎と忍だ。スケッチしたのは、瓦礫だらけの焼け跡、雨露をしのぐだけのバラック、路地にひしめき合う露天商。長屋、芸者置屋、井戸ポンプ、竹のはしご…。映画に使おうと寸法を記したうなぎ屋の厨房もあれば、ふと目を留めた家の物干しもある。盛り場の看板を色合いも忠実に描き、飲食店では張り紙の粋な惹句と値段を記す。駒込、新宿、新橋、蒲田、神楽坂、上中里、浅草、銀座。一九五〇年代後半までに描いた町の風景と、それにまつわる思い出話に、時代が置き忘れた暮らしがよみがえる。若かりし頃、戦争のこと、映画のこと、そして黒沢のことを余すことなく語りながら、近くて遠い昭和の日々を散策する一冊。黒沢映画の未発表デザイン画と製作秘話も満載。