携帯電話は、南アフリカの金鉱山より30倍も優秀な金鉱脈。
ヘンリー・ルーミスは、切支丹禁制の高札が撤去される以前の1872年(明治五)五月に来航し、横浜に在住すること四十三年、日本の土となったアメリカ人宣教師である。キリスト教の伝道は、横浜開港の直後に来日したヘボンやS・R・ブラウンによってすでに始められていたが、ルーミスは1875年、日本初の長老派教会である横浜第一長老公会を誕生させ、讃美歌集の編纂にも力を注いだ。本書は、ルーミスが一時帰国する1876年までの四年間に米国長老派協会宛に送った書簡を訳出したもので、超教派の教会「日本基督公会」の破綻、来日宣教師の動向など、明治初期の宣教の実態を伝えている。
近代日本で都市や自然を写し取った江戸泥絵、横浜写真、雑誌メディア、芸術写真を素材にして、場所を描く視覚表象=トポグラフィが流通したことで人々は環境をどう意味づけ、消費したのかを解明する。近代期の絵画、写真や雑誌などによって編成されたイメージ群が、いまなお私たちのものの見方を規定していることをあぶり出す。
海賊を自認する以上は、自由であるがゆえに、責任をもたないといけない。プロデューサー型のリーダーが横浜の地にユニークなプロバスケチームをどう作り上げたのかここからプロスポーツクラブのマネジメントの一つの姿が見えてくる。
文明開化は過去を捨て去ったのか。積み重ねられた空間の履歴を辿り、場の力をよみとく。表層的な観光だけでは知ることのできない、空間の奥行に秘められた歴史浪漫をたどる、新しい街歩きの視点。
いま、日本で最も注目を集める「理数科専門」公立高校、その全貌。
1950-60年代に世界のシェア80%、70年代に国内のシェア90%を占めていた「横浜スカーフ」。服飾としてのみならず、観光土産やイベント向け、広告・宣伝用、国家や民族を表象した柄など、多種多様な用途とデザインのスカーフが横浜から国内外に渡っていた。高度経済成長期からバブル崩壊を経て現在に至るまで、かつての日本有数の地場産業の栄枯盛衰を、スカーフ・デザインとともにたどる。
戦後の荒廃から再出発した日本の経済は、輸出立国を志向した。1966年に貿易マンとして踏み出した主人公は、その時代その時代の政治・経済状況に翻弄されていく。そして、バブル崩壊後の貸し渋り・貸し剥がしに苦慮するとともに、街金の罠にはめられてしまう。その後どのように再起していくのかを綴る異色経済ルポ!
国に見放された戦犯を救え。敗戦から四ヶ月、日本国内初となる戦犯裁判で横浜の弁護士たちは闘いを開始した。圧倒的に不利な状況下、「敗者」が裁かれる法廷で、法律家は何を懸命に求め、何に敗れたか。わずかな報酬、英語の壁、傍若無人な記者、乱発される死刑判決…。“隠された”膨大なBC級戦犯文書と元被告の貴重な証言から、知られざる献身の物語を鮮やかに描き出した戦後史秘録。
受験人気がヒートアップ。名門私立を蹴って入学する生徒も続々。新設の公立中高一貫校が、全国にその名を轟かせるのはなぜか?最初は教科書を使わない独自の授業で、中3段階の英検準二級取得率は8割超!今後、大学合格者数ランキングの「台風の目」になるのは間違いない。数々の学校を立て直し、計画実現の辣腕を誇る初代校長の秘訣。
“東の藤木、西の田岡”と並び称された男!命を張った三代の生き様!山口組・田岡一雄の教え、義理と人情、沖仲士と賭場の港からカジノ追放へ。ヨコハマに一生を捧げた藤木三代の激動史!