NTTをはじめ、数々のビッグプロジェクトを手がけてきたPAOSが、20年余の研究と実践から構築した開発メソッドの詳細をついに公開。
神々が人界をめぐり、鶴女房が飛来する。竜宮に遊ぶ人、蛇婿に泣く娘。昔話という大樹にきざまれた年輪をたどりつつ、原始の世界へ旅する。人類の心の軌跡、80の昔語り原話集。
リットン美術館に転がっていた二つの死体。決闘シーンを彷彿させる現場に残された暗号めいたメモ、鞄の中の陶片、さらに留守番電話に吹き込まれていた被害者の絶叫と銃声。贋作と故買屋の線を臭わす罠の周辺をさぐるうち、コロンボはリットン一族とハリウッド映画界との奇妙な関わりように疑惑を抱く。陳列ケースから消えた「黄金のバックル」に秘められている謎とは…?
陶淵明(365-427)といえば人は「帰りなんいざ、田園まさに蕪れなんとす」の一句を想いうかべ、酒を愛したのんきな田園詩人といったイメージを描くだろう。ところがどうして、そんなイメージをもってしては到底おおえぬ複雑な振幅の持主であることを何よりも作品が語っている。全作品の原文・訓読文に注・現代語訳をくわえた。
詩124篇、文12篇。これが陶淵明の全作品だから歴代の他の詩人に比べて決して多い数ではないが、そのいずれもが噛みしめれば噛みしめるほど味の出てくる作品ばかりである。蘇東坡は言っている。陶詩は地味のようでいて実は華麗、痩せているようで実は脂ぎっている、李白や杜甫などもみな及ばない、と。
暖かな書斎の一隅で、白い砂粒が音もなく滑り落ちていく。この静謐を、知的観想の時を、わたくしたちはいつくしむ。砂時計は地球的時間の象徴である。夜明けとともに起き、一頭の獲物を得るまで狩りをした“アド・ホックな”行動様式の忘れ形見である。自ら作り出した歯車時計に支配される近代文明の逆説を、ドイツの文豪ユンガーは勁く静かに批判する。古今の文献を駆使して語る、ユニークな宇宙論。