目と耳と口の不自由を克服し、障害をもつ人も、もたない人もあたりまえの生活をすること(ノーマライゼーション)をだれよりも願ったヘレン・ケラー女史。戦争や人種差別にも反対し、世界の人々の心に夢と希望を与えつづけた女史の精神はいまも強く生きています。女史は3度、日本を訪れています。3回目の1955年(昭和30年)には、東京ヘレン・ケラー協会を訪れ、併設のヘレン・ケラー学院の生徒たちの『幸福の青い鳥』の合唱にタクトを振るなど、肌を通して触れ合いました。その強く暖かな精神は、いまも学園の支えとなって息づいています。21世紀を担う子供たちにしっかりともってもらいたいのが、女史の自立の精神です。その手助けとなる本が『アトムポケット人物館ヘレン・ケラー』として刊行されました。愛に満ちたヘレン・ケラー女史の生涯が、明るく、キメ細かく見事にイメージ化されています。小学校3年生〜中学生。
“事なかれ主義”が横行する現在の教育現場。その犠牲となってしまった我が娘…。娘を守るために立ち上がった母親が学校と戦った苦悩の二千日の日々を記した問題作。
生き抜く力と痛み。あるユダヤ女性の家族史。著名な女性ジャーナリストが母の死をきっかけに、自分の失われた過去を10年かけて蘇らせた、感動の大型ノンフィクション。
母親でも自閉症の子の行動は分かりにくい。その行動の分かりにくさを一つひとつ解きほぐしながら。母と子の情動を調整し、愛着とコミュニケーションを育む治療。ゆったりとあたたかな治療過程がいつしか自閉症児とともに歩むよろこびをかもしだしていく。
「親の言いなりにしたらなにもかもがすべてうまくいくん?もう少し大人になれってゆうけど自分の考えより人の意見ばっかりきいたら早く心が成長するん?」多感で繊細な10代の少女と、母親との間で交わされたメモの数々。親は成長期の子と、どう向き合えばよいか?ヒントは本書の中にある。
「ナオちゃん、貴方を最後に産まなかったら、こんな刑務所とか看守さんなんて、わたしには映画の世界のことだったわ」。服役中の息子に朗らかに言った母・玉枝は、少女時代をロンドンに過ごし、戦後は混乱の中で4人の子供を育てた。夫が復員し、一家そろっての幸せも束の間、末息子の暴走が始まる…。明治・大正・昭和を生きた母の一生を、グレた息子が描く感動のドラマ。
俳人でもある著者が、その成長過程を記憶の糸を手繰りながら、美しく、そして平易なことばで母に語りかけていく興味あふれる書。
鹿児島県知覧の特攻基地の近くで軍の指定食堂を営んでいたトメは、母のように隊員の世話をした。ここから、いくつもの感動的な物語が生まれた。この本は、トメの娘が自分の目で見た母と特攻隊員の触れ合いを描いた作品。
ビジネスの鍵は、母親の教えの中にあった。「野菜を食べなきゃ、デザートはぬきよ」「人を見かけで判断してはいけません」誰もが耳にしてきた母の言葉-ディズニー、サウスウエスト航空、3M、キンコーズなどアメリカで成功した企業のリーダーたちは母親から何を学んだのか?ビジネスを、母親を、人生を考える人に必読の一冊。
ミチは正面から燃える光をあびた。とっさに右手をかざして、異様なまぶしさをさえぎろうとした…熱さも痛さもなかった。おぼえているのはそこまで…あの朝、多くの親と子、きょうだい、家族がなにもわからないまま別れていったー。
父さん、私たちも大きくなりました。いつか一緒にお酒でも飲みながらあの日からのことを話しましょう…。父を失った悲しみは、今も癒されることはない。しかし、子供たちは母を助け、家族と共に力強く生きていく。
何万人に一人という奇病の悪性腫瘍におかされた、最愛のひとり息子と母親の380日にわたる壮絶な闘病・看護記録。
日々激烈さを増していく症状のなかで“お母さん泣かないで”の言葉を遺して天に召された娘さんへの、鎮魂を込めて綴られた、母と娘の闘病記録。
雅子さまとほぼ時期を同じくして母親になった、生まれたてのお母さんの産ぶ声がいっぱい詰まった本。
確実に痴呆であること、今の医学では治す薬はないこと、いやがることはさせないこと。母親を寝たきりにさせないための戦い。
世界で一番、激しくて爽やかなサッカー。プレミアリーグを生んだ風土とスピリットを読み解く体験的イングリッシュフットボール論。
母と子の深い絆に気づいていただきたい-、そんな思いを現役のカウンセラーが一冊の絵本にしました。母子分離不安に悩むお母さんとお子さんへお届けする愛情物語。シンプルなストーリーが忘れていた母と子の深い絆を思い出させてくれます。