著者流在宅介護術やヘルパーさんたちとの心温まる交流、介護保険サービスの内容や利用申請の仕方など、介護に関わる方々、必読・必携の一冊。
ママの強さは、いつも私を力づけるためにあったー今だからよくわかる、ときには厳しすぎて苦しかった言葉の本当の意味。
卵子提供、養子縁組の道を模索しながらも挑んだ最後のチャレンジで、5月、代理母のシンディが双子を妊娠。けれども、シンディの不調、心ないマスコミ、無神経な医師によるドクターハラスメント、代理母出産という方法への世間の目、夫婦の亀裂など、たくさんのハードルが待っていた。数え切れない涙を流しながらも、「みんなが幸せな顔」を懸命に明るくイメージして、祈り続けた日々。そして、11月末、突然の破水の知らせにより、予定より1カ月早く、その日はやってきた。「生命」を見つめ続け、あらゆる不条理に向かい合った3年間。人は、こんなにも強く明るく生きられる。
「あんたに病気なの」飲む必要のない薬を大量に飲まされ続け、ありもしないアレルギーを理由にわずかな食事しか与えられない。母に嘘の病気をでっち上げられ、心臓カテーテルの検査のため、太ももにメスを入れられ、管を通され、開胸手術を受けさせられる…。代理によるミュンヒハウゼン症候群(MBP)の母親による、終わらない「虐待の闇」を生き抜いた女性の壮絶な半生。
インスリノーマーという難病に突如見舞われたママ。ママの闘病のため祖父母の家で生活することになった娘里佳と、突然孫娘の世話をすることになった祖父母。ママの闘病生活と、見守る家族の毎日をつづった、渾身の日記。
主婦マンガ家として活躍中に版元が倒産、収入ゼロになった著者。頼りの夫は転職ホヤホヤ、初任給は8万円!!家計は一気に大火災。親子5人の大ピンチに、ママが立ち上がった!朝・出勤前のポスティング、10年ぶりの通勤、ガス・電気・水道代や食費の徹底改革、家事分担バトル、株で買った夢と希望、節約家族の夏旅行…怒涛の行動力とアイデアで乗り切った、ビンボー生活大公開。
これで「自殺」と言えるか?ロープで固く縛られていたのに自殺と即断、いままた犯人自白を隠し続けた警察。教えてくれたのは、わが子に手を下した犯人だった!母の執念の年月を、いま妹がたどる。
12歳で韓国から来日、7人の子どもをもうけるも夫は放蕩。次女は家出、三女は北朝鮮へ、ヤミ商売で逮捕歴37回…。家族のためになりふり構わず生きたオモニの人生。
29歳で離婚し、専業主婦から心理カウンセラーに転身。36歳の今、全国に展開する心理カウンセラー養成学院とメンタルクリニックの院長に…。壮絶な虐待を生き延び、ただひたむきに自分らしさを追求してきた筆者の自伝的エッセイ。誰もが持つ成長の力、そして逆境を克服する不屈の精神力を信じ、心に傷を抱えて生きる全ての人に捧げるメッセージ。
ずっと心に抱えていた闇を、今なぜここに記したか。人が「老いる」ということ、人が生きる意義、親子とは、家族とは何か?母の病と介護の体験を通して振り返ってみたかった。
経済的にも社会的にも目ざましい発展を遂げつつあった19世紀末のアメリカ。そのアメリカを新世界とし、より豊かな生活を夢見てヨーロッパから流れてきた移民たちの住み着いた先が、ニューヨークのイースト・サイドだった。看護師であり医学生でもあったリリアン・ウォルドは、その一角にあるヘンリー通りに、1895年、世界で初めての看護師セツルメントを開設。その後1933年に施設長を退くまで一貫して、ヘンリー・ストリート・セツルメントを拠点に公衆衛生看護・地域看護を実践し、市や国の政治にも働きかけて普及と啓蒙に努めた。本編はリリアン・ウォルド自身がその半生をつづったもので、名もない地域住人たち、社会や国を動かす運動家、政治家たちとの生き生きとしたエピソードに満ちており、公衆衛生看護および地域看護の原点を知ることができる。1915年に雑誌に連載されていた原稿を元に書籍化、歴史的意義を新たに標すものとして91年に改訂版が出版された。本書は91年版の全訳である。
1966年からの文化大革命を迎えた多感な少女時代から東京で料理研究家として活躍する現在までの自伝。医食同源に基づいた食文化や母から教えられた暮らしの知恵を上手に取り入れた、パワフルで楽しい日々を綴る。
司会、タレントとして忙しく全国を飛び回る宮尾すすむ。休みの日は必ず、妻・明美、ひとり息子の雅史と三人で行動していた。今から十年前、46歳の早すぎた妻の死。のこされた父と息子は助け合い、時に感情をぶつけ合いながら、新たな絆を創り上げて行く。家族のあり方を考える、告白的家族論。
最初に肺、次に首、次に胸…、母はハンマーで殴られたうえに、ナイフで14ヶ所もメッタ刺しにされ無残に捨てられた。まだ幼く、身寄りのなくなった少年ときょうだいたちは、疎遠になっていた実父に引き取られた。だが、待っていたのは背筋も凍るような「虐待」だった。ささいな失敗で床に四つんばいにされ、裸の背中を棒で叩かれ、浴槽に頭を押し込まれる…。少年は、凍えた寝室で何度も「死」を思った。癒えない傷、一時しのぎの恋人、アルコールと覚醒剤、そして刑務所、精神病院…。すべてを失った少年がつづった胸が痛くなるほど切ない「過酷な日々」。
子育て奮闘中のお母さん、お父さんへ。日本のお母さんらしい子育ての姿が見えてくる!子どもと一緒に楽しむヒントがいっぱい。