私は27歳の障害者です。身体障害のほかに言語障害もあります。私には24時間の完全介護が必要です。そのために毎日24時間、約10名の介護者が交代で私を看護してくれています。私は歌手です。日本一ヘタな歌手です。私は毎日路上ライブをしています。母の遺志を継いで本気で紅白歌合戦出場を目指しています。私は母をがんで亡くしました。そして地獄の施設で半年間を過ごしました。私の身体では原因不明の難病が今も進行しています。この3年間で15キロも体重が減りました。私はもう長く生きられないでしょう。でも生きたい…。母とたった一つの約束を果たすまでは。だから毎日大好きな歌を歌い続けるのです。
突然やってきた介護。夫の母とのくらしは、とまどいと混乱からはじまった。でも母の「ありがとう」と微笑みが、私に生きる喜びをあたえてくれた。
お母さんの毎日の料理は子どもの体のもと、知恵のもと、やる気のもと。さあ、一緒にごはんで受験をサポート。
長年、経済的にきびしい状況におかれてきた母子家庭。肉声とともに、三〇年にわたる現状を伝える。また、著者は、当事者としての思いもこめて、母子家庭の“命綱”である児童扶養手当の大切さを説く。そして、老いをむかえた「母」たちのけわしい老後、「子」の教育がかかえている問題…取材を重ねるなかで、それらを描きだしていく。
課題演習4例。“合否のチェックポイント”付き。段階的に自力で学習できる。
父・浅井長政を伯父・織田信長に殺され、母・お市の方を死に追いやった天下人・豊臣秀吉のもとで激動の戦国を生き抜いた三姉妹“淀殿・お初・お江”。天下分け目の関ヶ原合戦をこの目で見、三度目の結婚で徳川二代将軍・秀忠の正室に。“江戸城のファーストレディー”となったお江は沢山の子宝に恵まれる。長男は三代将軍・家光となり、娘は後水尾天皇へ嫁ぎ、孫娘は女帝・明正天皇に。徹底取材の末、初めて明らかにされる戦乱の姫の新事実。
病気や苦しみが気づきをもたらすアトピーの二児の母親が綴ったホメオパシー体験記。
『学問のすゝめ』は諭吉が「唾して」去った故郷、中津の人々へのメッセージでもあった。中津には諭吉のアンビバレンツな発想の原点があった。そこには父百助の儒学と、母於順との孤高生活があった。亡き父を慕い、19歳まで学び続けた儒学。啓蒙思想家福沢諭吉の原風景とは。