砂漠の道、そして草原の道をわたって遥かなるローマに至った壮大なシルクロードの旅は、再び長安を目指し残されたもうひとつのシルクロード“海の道”に船出する。本書は、地中海から紅海、インド洋、そして東南アジア沿岸、中国沿岸へと“シルクロード・海の道”をたどり東西交易と文化交流の歴史をさぐる冒険とロマンに満ちた大型記行ドキュメントである。
ぼくの前に紫の火柱とともに現れた「孝」の玉。エリ、イカンガー、トモミ、シンゴとともに本当の自由を勝ち取るための玉の戦いが始まった。残る四犬士の行方をさぐる中で知る玉の秘密。-それは、地球最初の石にまつわる宇宙の物語だった。
王さまなら、なんでもすきなことができる。…ほんとでしょうか。ちいさな王さまは、いつもわすれものをして、しかられてばかり。エミちゃんは、カメのえのハンカチをかしてくれますが…。王さまのわすれんぼうはなおるでしょうか。
としをとったくじらさん。おおきなくちにおおきなからだ、だれもこわがってちかよりません。ひとりぼっちのくじらさん。うみにぽっかりういていたら、とりがしまとまちがえて…。
大地に繰り広げられる殺戮の修羅場。友が部下が一人また一人と命を失う…。屈辱と挫折の淵から、愛と名誉のため、イーグルの旗を求め、苦難に立ち向かう若き英国陸軍将校リチャード・シャープ。またひとつ英雄伝説が生まれた。全英で絶賛の冒険小説第1弾。
本書はチェコ人作家ヤン・ハヴラサの日本旅行記『日本の秋 わが生涯の断片』から、北海道紀行に関連する個所を選んで翻訳したものである。原書は5部構成になっているが、訳出した部分は、第1部「横浜からの手紙」の後半の3章と、第3部「滅びゆく民族のもとで」の全6章にあたる。訳出に際して、各章に通し番号をふした。ハヴラサは夫人とともに1912年(明治45年)5月に来日し、翌年の春まで丸1年間わが国に滞在して、各地を旅行した。訳出した滞在日記の日付は、1912年(大正元年)秋のものである。
巨大な仏教遺跡が残り、宝石の眠る島スリランカの“現代見聞録”を綴りマラッカ海峡を抜けて香料諸島へ。そして隠されていた、もう一つのルート、マレー半島の横断行を再現。
龍馬は日本人の“あこがれ”である。その見事なまでにユニークな感性、底知れぬ明るさ、たくましい行動力、たしかな先見性、深い洞察力は私たちの心をとらえてはなさない。そして、龍馬はまたすぐれた経済人でもあった。日本資本主義形成の歴史の中における龍馬の偉大な足跡を、その天才的な発想と合理性に焦点をあてて実証的に描いた力作。
ベトナム海岸2000キロを旅し、悠久の中国へ。ローマ帝国と漢帝国を結んだ貿易の中継地ベトナム。その文化の香りたつ海岸線を中国国境まで北上する。そして、古来より中国大陸の窓といわれた海南島、広州へのルートを探る。
砂漠の道、そして草原の道をわたって遥かなるローマに至った壮大なシルクロードの旅は、再び長安を目指し残されたもうひとつのシルクロード“海の道”に船出する。本書は、地中海から紅海、インド洋、そして東南アジア沿岸、中国沿岸へと“シルクロード・海の道”をたどり東西交易と文化交流の歴史をさぐる冒険とロマンに満ちた大型紀行ドキュメントである。
徹底した反ナチス報道が追放され、なお軍部の言論弾圧に屈せず、敗戦後は読売新聞大争議を指導、のち釜石市長として反権力・反公害運動を展開、一生を時流に媚びず反骨に生きた男の破天荒の生涯。
岩合光昭氏は、1982年8月から1年半にわたって夫人・日出子さんと、当時4歳だった愛嬢・薫さんとともに、アフリカのタンザニアによるセレンゲティ国立公園で生活してこられました。この本で使われている写真は、その間撮影された8万3千カットの中からセレクトしたものです。
1.55トンの高炸薬を抱いて水中特攻兵器『回天』に搭乗し、敵艦船めがけて己れの肉体を飛散させることと思い定め、自らを駆りたてて死地に赴いた4人の青年たちの苛酷な生と死を描く鎮魂の書。