かろうじて十指にあまる著作をもつ、その最終巻がこれ、みずからあんだ拾遺詩集である。
豊饒な思索とロマネスクの世界。『埴谷雄高論』『武田泰淳論』『石川淳論』の論稿で知られる著者が紡ぐ七篇の“夢のかたち”。
句集『蝶日』『花石』『白体』など現代俳句の感受性の極北を歩く孤高の俳人が、人間存在の全き回復を求めて時代の暗夜に宛てた初のエッセイ集。ひと、風景、「もの」との一期一会。「生」の光芒と翳りを透明な言葉に映し己が内景を開示する。存在と非存在のあわいを往還し、辛い夢の形而上学を紡ぎだす。
王朝和歌の精髄『小倉百人一首』全歌を解説、評釈、作者紹介。さらにうたびとたちの実存と歌の内面世界の深奥に踏み入り、鏤骨の詩語に変奏する。エスプリ、ロマネスク、虚実旋転のメモワールー異相の詩空間で蘇る二十一世紀の百人一首。座右に置くに価する記念碑的詞華集。
現代俳句の第一線に立つ著者の繊細にして豊饒なる感性と知性が織りついだ俳句のポエジイの魅力。“季語”の始源に対峙し、俳句の根源を問いつづける著者の清新剴切なる実践的作品行為としての鑑賞。鑑賞に託した伝統芸術論のエッセンス。次代に継承されるべき俳人たちの創作の磁場に分け入り、創作の機微と核心に迫る詩的乾坤。
西欧と日本の間に立つ苦しさの解決を、山田は一挙に日本の「国民音楽の樹立」へと向けたが、それはひとり、山田という日本の近代の文化創造を夢見た音楽家にかぎらず、日本という国家の立ち方を映すものであったろう。脱西欧、対西欧の一つの方法としてのアジア侵略と、ナショナリズムの強化。そうして日本を世界に主張しようとした図式は、山田の軌跡と等しい。その意味で彼は、まさに時代そのものであった。