全国各地に伝わる、神話・伝説・昔話・説話・奇談・人物の逸話などを集大成した、総合的な伝承文芸大事典。
大正から昭和にかけ、女流俳句の先駆者として俳誌「ホトトギス」で活躍した天才的俳人・杉田久女は、昭和11年、敬慕する師・高浜虚子から突然、同人を除名された。俳句を芸術として取り組み、17文字に生命を賭けていた久女は以来、不幸な運命を辿る…。かずかずの艶麗な句を遺しながらダークな伝説にまみれた悲劇な人・久女。芸術と家庭のはざまで、懸命に生きた“早すぎたノラ”の真実に迫り、新しい久女像を創造する。悲劇の女流俳人を描く書き下し長編。
たとえば、生命線は生命線ではないのです。いままでの誤りを指摘し、常識をくつがえす、そのウソとホントが見えてきます。
“カラカラクルクル…車いすが走る、走る、走る。車いすの犬「花子」”この本は、花子と「ポチ公」の友情と飼い主・木村さんのやさしさの記録。生命の尊さと生きる喜びをうったえかけます。
ノスタルジアとは何か。起源への遡及、あるいは始源への欲望。知のフィールドを疾走する、著者が物語を始動させて止まない力の源泉を、さまざまな角度から語る、辛口の随筆集。
オレ、ワトソン(和戸尊)・友だちのトン(飛田透)・双子の姉妹、保積冴と麗の四人は、夏休みだけ、というやくそくで探偵団を結成した。さっそく、トンの家の犬、パー太郎の犬小屋盗難事件にのりだすが…。-第28回講談社児童文学新人賞入賞作品。小学中級から。
本書はチェコ人作家ヤン・ハヴラサの日本旅行記『日本の秋 わが生涯の断片』から、北海道紀行に関連する個所を選んで翻訳したものである。原書は5部構成になっているが、訳出した部分は、第1部「横浜からの手紙」の後半の3章と、第3部「滅びゆく民族のもとで」の全6章にあたる。訳出に際して、各章に通し番号をふした。ハヴラサは夫人とともに1912年(明治45年)5月に来日し、翌年の春まで丸1年間わが国に滞在して、各地を旅行した。訳出した滞在日記の日付は、1912年(大正元年)秋のものである。
もっとよく知りたい日本の言葉日本の文化。日常なにげなく使っている日本語の奥にひそむ言語学的問題、文化、風俗、を掘りおこす。
列車内や街角の騒音公害、化粧されたリンゴ、病的なまでの贈答合戦、老人ホームの日欧比較など、外国暮しの長い著者が、異なる発想で日本人の「食」「住」「慣習」を見直した貴重な提言の数々。
その日、成田空港に到着した1人のアメリカ人を待ち受けていたのは、私服警官と各国の諜報関係者たちであった。男の名はジョン・カミングス-元グリーンベレーの殺しのプロである。大使館の車で東京に向った彼は、後を退けてくる覆面パトカーにM26手榴弾を放った。12名の警官が負傷。5台のパトカーが炎上した。日米経済戦争は、陰の闘いへと突入していた。日本経済を支える社会の根幹を崩壊させるため、CIAから送りこまれた3人のプロに抗すべく選ばれた犬神拳の継承者・秋山隆幸の闘いは始まった。
体重98キロ、誰も近づけない猛獣のようなかみ犬、セントバーナードのボスを引き取ったムツゴロウさん。よし、体当たりだ!とボスの心の治療にとりかかりました。感動いっぱい、心にしみる愛の物語。
1898年、もの静かで内気なポーランド女性が、歴史の流れを変える発見をなしとげた。彼女の名はマリー・キュリー。ラジウムの発見者であり、放射線化学のパイオニアである。二度もノーベル賞を受賞。しかし、マリーの生涯は、輝かしい科学的な業績だけでなく、ひとりの仕事が人類をたすけることができるのだという強い信念をもって、不可能の壁に立ちむかった勇気の物語である。