松江の歴史を紡いできた建築の物語。
モダニズムが浸透する戦後において、作家、評論家、歴史家たちは分野を超えて共同し、そのプリズムは展示空間に投射されたー。1940年代から1960年代において画期をなした展示空間の歴史を綿密に検討し、「伝統」「デザイン」「環境」を論点に“鈍色の歴史”を立体的に描き出す。
世界的に「移民」の現状や背景への関心が高まっている。そこではともすれば「移民“問題”」だけが注目されがちで、「移民」が文化的多様性の醸成や芸術活動の活性化に寄与する可能性は充分な検討がなされていない。本書は、「移民」社会ベルギーを検討対象とし、「移民」をとりまく文化・芸術面での具体的な制度や方策、個々の芸術家や作品を取り上げ、「移民」の創造的側面を考察する。
超名盤3部作、マストアイテム100枚が完結!33作品を、背景、メンバー、全曲解説、証言など、多様な角度から斬る。
映画評論誌2021年冬号。2020年ベスト&ワースト。新作インタビュー(『おもいで写眞』熊澤尚人監督・深川麻衣・香里奈、『痛くない死に方』高橋伴明監督、)。追悼「成田尚哉を送る」。特集「筒美京平、私の10曲」など。
これが藝大の美術史だ。作品のメッセージを読み解いて、鑑賞眼を鍛える!
‘幻’に触れられるそれが彫刻の魅力である。
忍耐、長寿、知恵…風と火をあやつる木の物語。厳しい環境にも耐えて生育する松。日本で長寿の象徴とされるように、松は世界中で、認耐、知恵、多産等の意味をもつ特別な木だった。木材、食料、薬、接着剤、想像力の源泉…松と人間の豊かな歴史。カラー図版約100点。
幅広い読者を持つ代表的な芸術総合雑誌
マイケル・レビンの芸術(14CD)
誰よりも鮮やかなテクニックで同時代の大物ヴァイオリニストたちからも称賛されたマイケル・レビンの録音を集めたセットが英スクリベンダムから登場。
14歳になったばかりの時にフランチェスカッティの熱烈な要請で米COLUMBIAに録音されたパガニーニから、最愛の恋人の勤め先ともなったニューヨークのクラシック・ラジオ局WQXRでの1970年のパガニーニまで、定評あるセッション録音と、熱気のあるライヴ録音や放送録音など、レビンの短くも激動の生涯に、演奏を通じて触れることのできる内容となっています。
神童から超絶技巧ヴァイオリニストへ
幼い頃から驚異的な記憶力と絶対音感の持ち主で、6歳でピアノを習い始めたものの、7歳でヴァイオリンに転向するとすぐに上達、ニューヨーク・フィル第1ヴァイオリン奏者の父が教えることは数か月でクリアしてしまい、そこでガラミアンに教わるようになるものの、教わったことを徹底的に体に覚えさせたのは母ジーンの超絶スパルタ教育の功績でした。ピアノの神童と目された長男を7歳で猩紅熱で失ったこともあってか、母の教育ぶりはまさに鬼神のようだったということで、おかげでレビンは3年ほどでプロのヴァイオリニストも羨むテクニックを習得。
以後も、技巧とフォルムの関係が崩れることなく、誰よりも腕前が進化し、フランチェスカッティやシゲティ、エルマン、オイストラフ、スターンといった大物たちも惜しみない称賛を与えていました。
特に、「パガニーニ弾き」として知られたフランチェスカッティは、13歳のレビンの弾くパガニーニのカプリースに驚き、その場で米コロンビアに電話してオーディションとレコーディングの手配を依頼し、以後も、レビンを世に出すために尽力。コロンビア・アーティスツのアーサー・ジャドソンを紹介して演奏会を任せ、当時の人気番組「ベル・テレフォン・アワー」に出演する話を紹介したりもしていました。
また、ニューヨーク・フィルの指揮者だったロジンスキーもレビンのことをよく知っており、同じく13歳の時にキューバ公演に連れて行って共演、レビン初の海外公演を体験させてもいます。
そして14歳でカーネギー・ホールでリサイタル・デビューして成功を収め、15歳の時にはミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィルと2週間で56回のコンサートをこなし、途中楽器が壊れるという超ハードなスケジュールも体験。
以後、1962年秋に不調に陥るまで、11年間に渡って世界を舞台に活躍することになります。
ガラスのハート
不調の原因はいくつもあったようですが、コンサートが終わってレセプションにも出席し、数時間後には始発電車で移動といったことも珍しくなかったという無茶なスケジュールが睡眠障害を引き起こし、それがいろいろな不調の要因になった可能性があります。レビンの神経はそうした環境には繊細過ぎ、やがてステージから床に落ちてしまうのではないかという不安に襲われる舞台恐怖症の症状も現れ始め、また、過食に陥ったりもしたため、睡眠薬や食欲抑制剤の服用で対処しますが、ペースと量がエスカレートしてしまい、長期に渡って決まっていた数多くの演奏契約がすべてキャンセルとなり、入院する事態にまで悪化したのが1963年の初めのことでした。長年コンサートに同行し、演奏会が大成功でもガミガミと四六時中まくしたてていた母からのストレスの存在も大きかったようです。
幸い入院が短期間で済み、母と別居することで3か月ほどで演奏技術も含めて回復していますが、長期間の契約をキャンセルした影響は大きく、信頼回復までには数年を要しています。
ちなみに同じくアメリカ国内ツアーのスケジュールが過酷だったとこぼしていたフランチェスカッティに対して、レビンは不安をどうやって乗り越えるのか質問したところ、良いブイヤベースとワインがあればなんとか乗り切れるという、いかにも陽気なフランチェスカッティらしい返事で、あまり参考にならなかったというエピソードもあったようです。
レコーディング契約の不運
1958年6月、EMIとの契約更新の際に、当時イギリスが苦手だったレビンがEMIを蹴って、アメリカのキャピトル・レコードを選
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美術界の全情報を、グラビアと対談で迫る【巻頭特集:池袋モンパルナス】1930年代、豊島区要町、長崎、千早を中心に若い芸術家向けにアトリエ付き賃貸群が生まれたことで独自の芸術文化を構築した通称「池袋モンパルナス」。その幕開けから、現代に受け継がれる豊島区の取り組みまでを紹介し、当時から今日に流れる池袋モンパルナスの精神を今一度振り返る。当時を知る手がかりとなるインタビューや、マンガ、お散歩マップなどを収載。
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