大指揮者ミトロプーロスが作曲した歌曲も収録!
ギリシャとドイツの芸術にまつわる歌曲集
SACDハイブリッド盤。ソプラノ歌手ファニー・アントネルーがギリシャとドイツの芸術にまつわる歌曲を録音しました。注目はギリシャ人の指揮者ディミトリ・ミトロプーロス作曲による歌曲も収録していることです。ミトロプーロスは大指揮者にしてピアニスト、作曲家としても活躍。ここに収録した歌曲はミトロプーロスの多才さを示した作品といえます。(平林直哉)
【収録情報】
● ヤニス・コンスタンティニディス[1903-1984]:『ギリシャ人の20の歌』より第2番「Young Irene」、第19番「The Break of Day」、第10番「The Black Headscarf」、第16番「Tonight at Midnight」
● アレクサンダー・ツェムリンスキー[1871-1942]:「乙女の嘆き」「Madel, kommst du mit zum Tanz?」「Nun schwillt der See so bang」
● マノリス・カロミリス[1883-1962]:「I neraidoparmeni」*、「I neraida」*、「Rumeliotissa」*
● アルノルト・シェーンベルク[1874-1951]:期待 Op.2-1、乙女の歌 Op.48-3
● ディミトリ・ミトロプーロス[1896-1960]:船員の死*、アプロディーテーへ
● クルト・ヴァイル[1900-1950]:別れの手紙、Klops Lied
● フィリップ・ヤルナッハ[1892-1982]:子供の不思議な角笛
● ニコス・スカルコッタス[1904-1949]:I lafina*
● アントン・ベーア=ヴァルブルン[1864-1929]:Maria Sehnsucht
● エミリオス・リアディス[1880-1935]:『9つの短いギリシャの歌』より「Magissa」「Missiriotissa」
● ルートヴィヒ・トゥイレ[1861-1907]:Klage
● ドミトリス・リャリオス[1869-1940]:Es erklingt wie Liebestone*
ファニー・アントネルー(ソプラノ)
ケルスティン・モルク(ピアノ)
録音時期:2017年8月
録音場所:ノイマルクト、ライツターデル
録音方式:ステレオ(DSD/セッション)
SACD Hybrid
CD STEREO/ SACD STEREO/ SACD SURROUND
*=世界初録音
【パッケージ:BIS ecopak】
BISレーベルの社主、ロベルト・フォン・バール氏が環境に配慮した『BIS ecopak パッケージ』を採用。こちらのパッケージは、森林認証制度のFSC及びPEFCを取得している素材、また環境に配慮された接着剤や大豆油インク、水性ニスを使用しリサイクル性に優れており、プラスチックは使用しておりません。(輸入元情報)
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純粋天皇の胎水 安藤礼二
祈り、テキスト、習慣 --大江健三郎と現代日本の精神性 宇野重規
予言者としての大江 --「全小説」解説を書き終えて 尾崎真理子
[創作]
愛の迷路 石原慎太郎
僕にはあれしかありはしない。『太陽の季節』『亀裂』『若い獣』に列する、作家の中核をなす“拳闘”--そして“恋愛”小説の最前線。
百の剣 倉数茂
「真希」のことばかり考えるようになってから半年くらいになる。会ったことはないし、どんな顔をしているのかもわからない。ネットの「手記」を手がかりに、「わたし」は夢想するーー。
アフロディーテの足 太田靖久
彼女の幸せを祝える男でいたいーー。冴えない中年男の悲哀をスピーディな文体で描きだす。
[新連載評論]
LA・フード・ダイアリー 三浦哲哉
サバティカルのため、家族とともにアメリカに降り立った私を待ち受けた現実ーー気鋭の映画批評家による、アメリカ・レポート。
[論点]
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今月の「群像」の論点ーー「天皇と戦争」「左派ポピュリズム」「あいちトリエンナーレ」。
天皇の歴史意識 保阪正康
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彫刻とはなにか --「あいちトリエンナーレ2019」が示した分断をめぐって 小田原のどか
[連載完結]
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徹底討議 二〇世紀の思想・文学・芸術 第二回「世界内戦1・0」 松浦寿輝×沼野充義×田中純
連載・随筆・書評・合評
瀬戸内寂聴
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木澤佐登志
渡辺由美子
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長崎健吾
阿部公彦
武田砂鉄
諏訪哲史
藤野千夜
大澤聡
矢野利裕
ローザ・タマルキナの芸術(3CD)
ソ連ものに強いイギリスのスクリベンダム・レーベルから注目盤の登場。15歳で全ソ連コンクールに出場し、グリンベルク(2位)、ザーク(3位)という年長の実力者を破って優勝、16歳の時にはショパン国際コンクールで第2位となった逸材タマルキナのセットです。タマルキナは1920年生まれですが、病気のため1950年に30歳で亡くなっており、しかもキャリアのど真ん中に戦争があったということで、遺された音源は少なく、今回のセットも3枚組という規模ですが、演奏内容はどれも傾聴に値するものです。
【タマルキナと結婚】
ショパン国際コンクールの9か月後、インフルエンザの合併症でイザイ国際コンクールに出場できなくなったタマルキナは、自分にプロポーズしてきたギレリスとフリエールの2人に対して、イザイ国際コンクールで勝った方と結婚すると言い放って、優勝したギレリスと1940年に結婚したというエピソードでも知られています。しかし結婚して間もなく戦争が始まり、慰問演奏や疎開生活でのすれ違いに加え、タマルキナの健康状態の悪化もあって2人は3年ほどで結婚を解消。
離婚後しばらくして、タマルキナは正式にホジキンリンパ腫の告知を受け、以後は治療を続けながら、6年後に30歳の若さで亡くなるまで、ときには高熱にもかかわらず演奏活動や教育活動をおこなうなどして音楽界に身を捧げていました。
ホジキンリンパ腫といえば、ディヌ・リパッティを苦しめた病気でもありました。しかも偶然にも2人ともパートナーがピアニスト仲間で、亡くなった年も1950年と同じです。
もっともリパッティの場合は、平和な戦後になってから病気が発症して告知を受け、亡くなるまで妻が献身的に尽くすための結婚生活という状況だったので、タマルキナの場合とは事情が大きく異なっています。
タマルキナの初期症状が現れ始めたのは1943年のことでしたが、当時、ソ連はドイツとの「大祖国戦争(東部戦線)」のさなかにありました。NKVDによる「大粛清」で少佐以上の上層部約8割が処刑された影響もあって軍はひどい状況にあり戦果も惨敗続き、兵士や兵器に膨大な犠牲が出ており、1942年には、愛国心の強いギレリスは共産党に入党。結婚生活や疎開生活よりも、前線や病院での兵士の慰問公演を優先する生活を送らざるを得なくなり、夫婦は決裂、離婚に至っていますが、戦時のことなので仕方がなかったとも考えられます。
ちなみにソ連の共産党員数は、多い時で2千万人近いという大きな規模で、職業上でも生活上でもさまざまな条件が向上することから、多くの国民が入党を希望して審査を受けており、オーケストラ楽員や歌劇場の歌手たちなど多数の音楽家も入党していました。
中でもロシア帝国時代の民族主義が、ソ連でも再燃するのではないかと不安視していたユダヤ系には特に人気があり、ギレリスやオイストラフ、コーガン、ザーク、コンドラシン、ハイキン、パゾフスキー、シャフランなど有名どころも多数入党していました。
一方で、貴族や富農の子孫(ムラヴィンスキー等)、宗教関係者(ゴロワノフ、ユージナ等)、「人民の敵」の親族(グリンベルク、リヒテル等)、は入党が認められず、さらに国内パスポート(身分証)の民族欄が「ドイツ人」となっているドイツ移民の子孫(ネイガウス、ガウク、リヒテル等)、も入党が許されていませんでした。
【タマルキナとコンクール】
第1回全ソ連音楽コンクール
1933年に初めて開催された全ソ連音楽コンクールは15歳以上が対象で、13歳のタマルキナには本選への出場資格はありませんでしたが、ゴリデンヴェイゼル門下の才能ある子供の一人として年少者の枠で出演し、リストのハンガリー狂詩曲第10番を弾いて特別賞を与えられています。
本選の方では、当時16歳のエミール・ギレリスが優勝。ギレリスもタマルキナと同じウクライナ生まれのユダヤ人で、2人は7年後に結婚することになります。
第2回全ソ連音楽コンクール
2年後の1935年、2度目の開催となる全ソ連音楽コンクールに再びタマルキナが出場し、今度は見事に優勝。第2位は27歳のマリア・グリンベルク[1908-1978]、第3位は21歳のヤコフ・ザーク[1913-1976]という共に年長の実力者が入賞する強豪揃いのコンクールでしたが、タマルキナの演奏は誰よりも強烈だったようです。ちなみに3
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