国家や民族から脱する“越境”の夢は、グローバル化の中で悪夢へと変わるのか。演劇的なるものの可能性と限界を考察し、ナショナリズムの内なる特異点に迫る。
「国谷さん、“クローズアップ藝大”をやりませんか?」クリエイティブディレクター・箭内道彦の言葉から、すべては始まった。インタビューの相手は、「最後の秘境(?)」東京藝術大学に蠢く「芸術家&専門家」たち。芸術家の創造の源は何なのか、芸術家はいかにして芸術家になったのか、その眼差しの先に何を見て、学生たちに、社会に何を伝えようとしているのか?分断され閉塞した現代社会を今、“芸術”が切り開き、オルタナティブを提示する。今こそ社会に芸術を!国谷裕子と“藝大”で考える、“芸術”の無限の可能性。
「宗教的」な芸術があるとするならば、その根拠と可能性はどこに見出されるのか。ティリッヒの神学および宗教哲学において、「宗教的」な芸術は「究極的関心」の理念のもとに考察され、そこでは伝統的宗教的象徴の有無よりも、“to be or not to be”という煩悶への真摯で創造的な取組みが問われる。究極的な意味と存在の経験を表す芸術が「宗教的」なのであり、また自由と運命における「無言の啓示者」なのである。
「美」や「芸術」を理解しようとする初学者のために、それを論ずる場での具体的な方法論や歴史的観点の事例を紹介しつつ、トータルな人間の生の営みのなかに「芸術」を把握するてがかりの一端を開示した一書。さまざまな芸術分野のなかでも主として絵画・彫刻・建築などの「美術」、すなわち物理的な素材を用いて空間のなかに形を造る「美術(造形芸術)」を取り上げ、時空の座標軸の中心にはイタリア・ルネサンスを据えた。内容的には、西洋世界における「美術」と「美術家」という概念の成立や変遷過程を、美術作品、美術文献、文学作品、社会制度、学問としての美術史の成立過程などとの関係のなかに立体的に検証することを意図している。
フランス美術界で創出され、文化史上のトピックとなった“ニグロ芸術”。間大陸的な文化摩擦を被ってきたこの概念は一方で、ハーレム・ルネサンスやネグリチュードといった黒人文化運動において自らのアイデンティティを示す「抵抗のための武器」にもなりえた…。同時代の文脈から諸言説を読み解き、支配と抵抗の歴史を反省的に再構築する。
ようこそ、書の部屋へ扉を開けば、墨の縁の始まり。昭和、平成、令和と書の文化をつなぐ38人の書家たち。制作や活動の拠り所で行うスペシャルインタビュー集。
人間の創造的営為と時代精神の展開を描いた不朽の名著。
“思想家”、“哲学者”であった内田義彦の没20年。若い方がたは、いよいよ学びの意味を見失いつつあるのではないでしょうか?内田さんがやさしく語る、日常と学問をつなぐもの。迷える、そして生きているすべての人へ。
シュルレアリスムに芸術の可能性を見た瀧口修造。美のうちにリズムの歴史的構造と反復を措定した中井正一。徹底的な他者として「日本の伝統」に対峙した岡本太郎。政治と芸術の二元論突破を模索し続けた針生一郎。一個の事物と化し、一瞬への自己消去を企てた中平卓馬。詩的言語と論理的言語の矛盾のなか、芸術の不可能性に賭けた五人の実践。
地獄絵や浮世絵、仏教建築などの古典美術から、現代美術の池田満寿夫や日本画の加山又造、人形の四谷シモン、舞踏の土方巽、状況劇場の唐十郎など、日本の芸術について澁澤が書いたエッセイをすべて収録した集成。「おのれの城に閉じこもり、小さな壁の孔から、自分だけの光輝く現実を眺めている、徹底的に反時代的な画家」だけに興味を抱いた著者の世界観をたどる。
主題の喪失、消費文化と電子工学的メディアの出現を前にした60年代的危機感から、あらためて芸術の言語性を問い直しつつ創造への原点を目指す。巨匠アングル、ユゴー、ゴッホ、ピカソあるいは同時代人デュビュッフェ等々を論じ,造形芸術と文学に共通する諸問題を原理的に追求したピコンの批評の世界。
花の都フィレンツェを歩いてみましょう。ヴァーミリオン・レッドの屋根瓦に彩られた小さな街のそこかしこで待ち受けているのは、めくるめく眼福。本書では、なにげない石材から美術館の名品まで、必見の55点を精選して紹介します。
ソ連崩壊後次第に明らかになってきた資料が示すスターリン時代の芸術家たちの赤裸々な真実。権力との関係において、創造的知識人はどうあるべきかを、今あらためて鋭く問いかける一冊。