「漢文を学ぶ」第三巻目をお届けする。目次を散見するに耳の痛い話が多い。「子曰、過而不改、是謂過矣」過ちを改めざる、是を過ちと謂う。「子曰、君子求諸己、小人求諸人」まず自分自身を反省せよ。なんでもかんでも他人のせいにするな。いずれも孔子の「論語」からだ。読んでいると、雷親爺に叱られたようないい気分になる。
あの名作がこんなに読みやすくなりました。大きな文字、やさしい表記、親切な脚注。
恥ずかしがり屋の少年が、15歳で京都撮影所へ。運動神経に恵まれた彼は、時代劇の華やかな立ち回りを盛り上げる斬られ役として、有名監督や銀幕のスターたちの目に留まるようになるー。以来43年、セリフはもちろん、台本がないのが当たり前の、斬られ斬られて2万回の大部屋生活。東映時代劇映画の盛衰とともに歩んだ男が語る、笑いあり涙ありの役者人生。
ときは戦国時代のおろち山。そのかくれ里に、飯野村から逃げてきた村人をかくまうことになっていらい、つぎつぎにあらわれるなぞの僧や落ち武者たち。山賊家業をしながら、のんびりくらしているばあいじゃない。村を焼きはらう侍たちと戦うため、小太郎はたちあがる。「大あばれ山賊小太郎」シリーズ完結編。小学中級から。
人間の欲望が幻影となって人間の存在を呪縛する世界に身を置きながら、アフガニスタンに関わり続けて二十数年。一編集者が、ひょんなことからNGOの責任者になって、考え続けた思考の軌跡。
ボーニーは、2人の解剖学者が、実物とそっくりの形になるように設計したペーパークラフトの人体骨格模型です。おもしろそうだから組み立ててみたいという人も、まじめに骨の勉強をしたいという人も、きっと満足してくれると願っています。ノリも金具もいらなくて、完成すると、身長は160cm。しかも、背骨も曲がるし手足の関節も動かすことができるから、どんなポーズをとらせることもできます。このペーパークラフトを通して、私たちの骨格の複雑で巧妙なつくりに触れてみなさんに新しい感動を味わっていただければ、それに勝る喜びはありません。
各作物ごとに、原産地と伝播、作物としての特徴、生産・流通の現状と課題、生育と生理・生態、栽培の考え方と実際、経営や作業の特徴などポイントを押さえて解説。イネ、麦類、豆類、いも類、雑穀に加えて、油料作物(ナタネ、ヒマワリ、ゴマ)、し好作物(チャ、タバコ、ホップ)、糖料作物(テンサイ、サトウキビ)、繊維作物(イグサ、ケナフ)まで掲載しており、素材事典としても便利。イネでは栽培方法に加えて、生育診断や、収量の成り立ちとその解析まで親切に解説しており、イネつくりだけでなく他の作物の基礎としても役立つ。
クラフト・エヴィング商会の先代である祖父が愛用していた古い皮トランク。その底から古ぼけた手帖がでてきた。そこには、不思議な国アゾットに関する、驚くべき旅行記が記されていた。読み進むうちに、孫にあたる三代目は、奇妙な物の数々に出会うことになる。得体の知れない機械、判読不能の書物やポスター、奇妙な譜面や小箱、そして酒の空壜らしきもの。壮大なスケールの冒険ファンタジー。1995年単行本版に加筆し、イラスト満載の手帖版。
この十九世紀末というのは、地球は列強の陰謀と戦争の舞台でしかない。-日清戦争の勝利にわく日本。しかし、思惑が複雑にからみながら列強の干渉は強まる。秋山好古は対コサック騎兵作戦を、秋山真之は対バルチック艦隊戦略を着々とたてはじめる。そして正岡子規はその最後の情熱をかきたて、文学にむかう。
概説編で砕屑性堆積物を構成する基本単位である砕屑粒子の成り立ちと運搬・堆積機構と、生物・化学岩である炭酸塩岩・珪質岩の分類と形成の関係について概観する。つづく実践編では、砕屑性堆積岩と炭酸塩岩の記載と研究の方法について述べる。
昭和29年の洞爺丸沈没事故で両親を失った蒼司・紅司兄弟、従弟の藍司らのいる氷沼家に、さらなる不幸が襲う。密室状態の風呂場で紅司が死んだのだ。そして叔父の橙二郎もガスで絶命ー殺人、事故?駆け出し歌手・奈々村久生らの推理合戦が始まった。「推理小説史上の大傑作」が大きい活字で読みやすく。
アパートの一室での毒殺、黄色の部屋の密室トリックー素人探偵・奈々村久生と婚約者・牟礼田俊夫らが推理を重ねる。誕生石の色、五色の不動尊、薔薇、内外の探偵小説など、蘊蓄も披露、巧みに仕掛けたワナと見事に構成された「ワンダランド」に、中井英夫の「反推理小説」の真髄を見る究極のミステリー。
ももんちゃんがおふろにはいっていると、きんぎょさんがはいってきて、あーごくらく。
電車の中で、オフィスで1回5分のトレーニング。脳のアンチエージングトレーニングは、脳の「基礎体力」を維持もしくは向上させるトレーニングです。脳のウォーミングアップトレーニングは、数分間の全脳運動により、自分の前頭前野の潜在能力を引き出すトレーニングです。
旅順の港とその大要塞は、日本の陸海軍にとっての最大の痛点であり、ありつづけている。-日清戦争から10年後の明治37年(1904)2月10日、日露戦争開戦。軍事力も財政力もロシアに劣る日本は、戦局の長期化を避けたい。しかし、満州を主戦場とする陸軍にとっても、一日も早く制海権を握りたい海軍にとっても、旅順の大要塞が大きく立ち塞がった。「日本人とは何か」を問う畢生の大作。
旅順の乃木軍司令部から児玉のもとに入ってくる報告は、ことごとく敗報であった。-旅順の要塞との死闘はつづいていた。要塞に対し正面攻撃に固執する乃木軍は、兵士たちを死地へと追いやりつづけた。兵力が衰えるなか、攻撃の主目標を二〇三高地に限定せよとの声が高まる。そこからは、旅順港が眼下に見下ろせるからであった。「日本人とは何か」を問う畢生の大作。