肖像画のまなざしは何を語りかけるのだろうか。近年歴史資料として注目されている日本の肖像画について、鎌倉時代から江戸時代までの多くの作品の緻密な検討から、その変遷・特質と、影に広がる日本人の精神世界を探る。過熱する像主論争に一石を投じる。
「他者」への視線を読み直す。視線の背後に潜む西洋(男性)中心主義と現代のポストコロニアル的状況を最新の知で脱構築。人種・国境・ジェンダーに囚われずに生きるための文学・文化論。
時を越えるまなざし。初公開の創作メモ、ゴダールとの対話、都市・メディア論。「映像の詩人」ヴェンダースが物語をつくる夢の力を論じ、思索家としての姿を表わした全ての創造的行為に関心を持つ人々のための書。
ラカンの矛盾や不透明な部分にこそ彼を理解する鍵があるとして、19世紀の心理-生理学のエピステモロジーにラカンがいかに深く負っているかを、彼の視覚論が(目に見えぬ)「小説性」と交錯する地点で捉えていこうとする斬新な試み。初期ラカンの視覚論を批判し、それがヒステリーと小説の問題系を巧みに抑圧している事態を独自の発想(「眼の自己愛の装置」など)で明らかにする。構造主義という思潮にからめてラカンとフーコーの橋渡しをする。
構造主義人類学の本質と独創性がみごとに発揮されたすぐれた民族学入門。文明社会の《自由=非拘束》の幻想をうち破り、真の自発性を確保する画期的文明論。
“窓”は人間の「見る」行為と深く関わる。古代エジプトから20世紀まで、西洋の“窓”の変遷に伴い、人間の自我意識がどのように変わっていったかを、多くの絵画・文学作品を援用しつつ明らかにする。著者30年にわたるライフワークここに結実。
マネージャーの佳月は新進気鋭のカメラマン・一真のところに撮影依頼に行く。それは担当モデルの泰斗を売り出すためだった。だが「男は寝れないから撮らない」と言い放つ一真に仕事に厳しく手段を選ばない佳月は、ある賭けを持ちかける。夜の公園で誘うように挑発する佳月に、乗せられる形で激しく抱いてしまう一真。淫らに振る舞う佳月のことを忘れられず仕事を引き受けるのだが…。大人の甘く、激しい視線の駆け引き-誘惑の危険な罠。
絵画の中に永遠に封じ込まれた空想建築。その世界は、独特の繊細かつ緻密な表現による具象画のリアルな空気をもつ一方で、常に静寂に満ち、現実の世界とは相容れない不思議な時空間を作り出す。そこに建ちそびえる建築の姿は、建造と修復、そして解体が同時進行し、終わりのない未完の印象を私たちに与える。過去、現在、未来が混在し、完成=誕生せぬまま生成しつづけ、同時に解体しつづける、「永遠の時間」-。1986年のSTILL-静かな庭園ーから、2004年POINTS OF VIEW-視線の変遷ーに至るまで、ドローイング等を含む、画家自選による約200点を収録。
近代資本制の発展とともに遍在化し、人びとが生きる社会的空間をたえず再編制・構造化しつづける都市。不可視であると同時にすぐそこにあり、空虚であることによって無限に意味を生成するメディアの場であるそれは、人やモノ、記号や情報の加速度的な交通の果てに今日の大衆消費社会を用意した。都市論の系譜学、東京論の射程、視線が禁止される郊外、都市の境界線の視角から都市の性質を解明し、そこに生きる人びとの振る舞いを紡ぎ出す。社会学、都市論、メディア論、記号論、構造論を横断して、思考のハイブリッドとパラドキシカルな論証方法から社会のトポス=都市の現在形を究明する論考集。
秋津慎平探偵事務所を訪れた依頼人・水原真貴子は息を呑むほどの美女だった。真貴子は、彼女とのセックスを赤裸々に綴ったある男の「日記」をネタに恐喝を受けているという。しかも、「日記」の内容にはまったく覚えがないというのだ。恐喝者の影を求めて動きだした秋津だったが…。長編官能ハードボイルド。