1920年〜1930年代、すでに銀幕にも舞台にも出没していたアルトーは、現実に直に接続した世界を観客に与えるべく、映画『貝殻と牧師』を手がけ、「アルフレッド・ジャリ劇場」を創設し。今日的な感性にも通用する映画・演劇論を語るー。映画シナリオ・舞台のための作品も収録。
母・森瑤子の愛と真実。次女マリアによる、初めての回想録。書下ろし350枚。
主演した映画の主題歌からシングル曲、童謡からポピュラー・スタンダード曲、さらに彼女のピアノ演奏、歌と朗読によるイメージ・ドラマ……吉永小百合ヒストリー・ボックスといった構成の6枚組。実に素直な歌声は童謡などを歌うとぴったりくる。60年代という時代の青春映画のスターだった彼女には、この時代のイメージと一体化している。サユリストの愛蔵盤になるんだろうなー。
大坂の武家屋敷の仲間、のんびり屋の貝殻一平。ある人物と人相はもちろん、ホクロの位置までそっくりという奇縁が彼の人生を大きく変えた。その人物とは、新撰組につけ狙われる志士・沢井転。かくて、一平の身に思いもかけぬ白刃が襲いかかる。飛騨谷一万石を賭けた藩主の遺児探索騒動もからみ、物語はなおもスリリングに展開していく。吉川文学の特色であるあたたかい眼が行間に溢れる出色の時代長編。
時は幕末、世は日増しに物情騒然。幕府の秘密をさぐり出し京へ逃げ帰ろうとする公卿の娘、執拗に追う同心や旗本、娘をひそかに助ける謎の浪人。そんな騒ぎをよそに、好きな女との行く末ばかりで頭がいっぱいの若者がいた。本編の主人公・貝殻一平である。しかし時代の激しいうねりは、彼に呑気な生き方を許してはくれなかった…。全編にみなぎる巨匠の着想の妙と鮮やかな物語の魅力。
日本官憲が葬った「抗日派」文人たち、革命政権が消し去った「親日派」文人たち-変貌いちじるしい「古都」北京への往来の間に、歴史の狭間に埋もれゆく文学的真実を激しく甦らせる。
本書では、日常生活に見られる現象のうち、衣・食に関連のある事項を中心に26項目を取り上げ、身の回りにある道具を使って実験し、諸現象の原理・原則を理解する形式で書いてあります。
1977年、80年に発売されたLPのCD化。これで超絶のサウンド・シーズ〜日本の音・再発見〜が完結する。「鬼太鼓座II」の(2)ではガムラン楽器を使用しており「鬼太鼓座III」の(2)はオーケストラとの共演。いずれも大太鼓中心のサウンドとちがって幅の広さを見せる。「鬼太鼓座II」の(1)は必聴。
タヒチの碧い海。桜庭高志は、黒真球を採る少年瑞紀に出会った。「彼は、海に愛されているんだよ」-。そう、まさしくミズキは人魚のように泳ぎ、水と戯れた。ミズキに魅せられてゆく高志。海の色を映す瞳が、しなやかな肢体が、愛おしくてたまらない…。ミズキも高志に惹かれ、真珠母貝に語りかける。「僕は高志が好きだよ」。心ふるえるラブロマンス。
モーガンは二十歳になったばかりでたったひとりの身寄りの祖父を失い、自活を強いられる。そのため夏休みの間、給料のいい作家の秘書を務めることになった。作家は大西洋の小島ヒドゥン島にひとりで暮らしている。島への旅は途中、嵐に見舞われるさんざんなものだった。くたくたで夜ふけに島にたどり着いたモーガンは、その作家ケント・テイラーの家の扉をノックする。怒ったような低い声がして、がっしりとした大柄な男が現れた。髭面に、しわの寄ったシャツと色あせたジーンズという格好だ。彼はぶしつけにモーガンをながめまわしたあとで、「明日の朝、帰ってもらう」と言ったきり、とりつくしまもない。
本全集は、求龍堂創業70周年を記念して刊行されたものである。世界の古代から現代に至るまでのガラス美術を体系的に集大成した。