予算不足で隊員も制服も装備も弾薬も足りない!災害派遣やPKO活動を通し、多くの国民から尊敬される一方で彼らはずっと耐え忍んできた…。気鋭の国防ジャーナリストが警鐘を鳴らす自衛隊が抱える「働き方改革」の課題。
誰もが一度は経験する「死ぬ時」のこと「医療に関わりたくない」「好きなものを食べて死にたい」「自分の布団で死にたい」…etc.本人が、家族が、どう叶えるか?30のエピソード。
大兵力を投入して日本軍を迎え撃つ英印軍との血みどろの戦いの渦中で、つねに諦めることなく、豪胆機敏、火のごとく強敵中を駆けぬけた歴戦の苦強者が描く感動の重機関銃中隊奪戦記。人跡未踏のビルマ戦場“死の山脈”でくりひろげられた凄絶な死闘の様相を克明に再現する臨場感あふれるノンフィクション戦記。
闘病の記。病とは自己との葛藤である。病室の中で沈んでいく心を支えたのは留守を預かり、ぶどう作りに励む懸命な妻の姿であり、時間を作り見舞ってくれる兄弟、親戚、友人達であった。
肩こり。腰痛。しびれ。身体の痛みがたちまち消える法。
日本民間航空の先駆者・伊藤音次郎経営の飛行機製作会社の工員から、十七歳で現役志願兵として陸軍の整備兵となった少年は赤道直下の戦場へ。豪州爆撃を行なった精鋭部隊の下っ端整備兵は古参兵に追い立てられて雑用ばかり、碌に機体も触らせてもらえない…。好奇心一杯で海を渡った少年兵が見た戦争の素顔。
昭和十八年、激しい消耗戦が続く東南アジアからインド方面戦線では、イギリス軍が雨期を利用して膨大な数の戦闘機を補充するなど、刻々と大反攻体制を整えており、対する帝国軍は補給が追いつかず苦戦を強いられていた。そこに、満を持して日本版ミグ戦闘機“橘花”が投入されることに。果たして、戦局は変わるか!?さらに、第五飛行師団長・田副中将は、帝国海軍に出撃を要請、これを受け小沢治三郎中将が、第三艦隊を率いて一路インド洋へ進撃を開始する。
小沢治三郎率いる第三艦隊はアンダマン諸島の手前から長駆攻撃隊を出撃させ、全滅の危機に陥っていた帝国陸軍航空隊を救った。さらに、その勢いを駆ってチッタゴン、アキャブを攻撃、連合軍撃破を謀るが、しかし、連合軍は内地奥深く退却し、海軍航空隊はなかなか決定的打撃を与えられず苦戦する。攻めあぐむ帝国軍の隙をつき、連合軍は密かにビルマへ進攻を開始、両軍はビルマ北部で激突する。
米英中の三国連合軍はビルマ北部のミートキーナを奪還すべく、戦車部隊を先陣に五十万の大軍で猛進撃を開始した。帝国にとって重要拠点のミートキーナが陥落寸前、橘花部隊が出撃し戦車隊を撃破したが、敵の進撃を阻止することはできなかった。ミートキーナからマンダレーに南進してくる怒濤の連合軍に対して、第三艦隊を率いる小沢中将は百六十二機の攻撃隊を発進させた。連合軍攻撃隊と壮絶な空中戦を展開するが…。
一億二千万人の乗組員を乗せ、護衛艦「日本」は現在二十一世紀の海を航行中である。行く手には食料、エネルギー、資源問題等が台風のように待ち構えている。それらを目前に、乗組員のマナーを確認し、徹底を図らなければ荒海を乗り切るのは困難である。本書は海の男たちの間で伝統的に受け継がれてきた躾教育の中で現代社会に通用するものを紹介する。
太古の昔から人類最悪の敵は、戦争でもペストでもなくウイルスだった!スペイン風邪では世界人口の約半分が感染した。死者は5000万人以上とも言われている。人類はインフルエンザ・パンデミックと、いかに戦ってきたか?常に変異するウイルス。身近に迫る新型「H1N1」。どう立ち向かうべきか?英国人ジャーナリストが、世界に警鐘を鳴らし、対処法を示す。
特攻隊員は生きて帰ってはならないー戦争末期、沖縄の米軍に特攻攻撃を行なうため発足した陸軍第六航空軍で編成された振武隊。上層部の無謀な命令で旧式機や訓練機で出撃せざるをえなかった特攻隊員の心情はいかなるものだったのか。そして、体当たりを断念し、帰還した彼らが収容された『振武寮』の実態とは。