現役をしりぞいてなお幕閣に大きな影響力をもつ、水戸徳川家の前藩主・徳川光圀。しかも大日本史編纂という文化事業を進めつつ、市井の悪党をひそかに懲らしめている名君だと、瓦版は毎日のように書きたて、庶民のあいだの人気はうなぎのぼり。すっかりと有頂天になった光圀だが、じつはこの正義の味方、なんとも人間くさい…いや、見栄っ張りで強欲な駄目人間であった。そんな光圀の片腕、無二の相棒とも言える男が、水戸家藩士の佐々野助三郎。これまた光圀に負けず劣らずの変わり者だが、たしかに頭は切れるし腕は立つ。組めば最強のふたりは、次に、残忍な人斬りの退治をもくろむのだが…。
尼将軍・政子、頼朝の娘・大姫、義時の妻・姫の前、時政の妻・牧の方…。鎌倉幕府150年の歴史の中で、北条氏とともにあった17名の女性たちの生涯を描き出す。
源義仲が平氏を退け入京を果たした。だが、清和源氏の嫡流である源頼朝は関東で挙兵するも京を目指さなかった。朝廷の権謀術数を嫌い、北条氏ら坂東武者の頂点として鎌倉で武家政権の足場を固めていく頼朝。さらに、平氏滅亡後、弟の義経討伐を名目に全国に守護、地頭を置くことに成功、朝廷に勝るとも劣らない力を得た。やがて、頼朝は政敵を次々に排し…。
仏教から考える鎌倉時代。『吾妻鏡』から見える都市鎌倉。二つの“鎌倉”を理解するための恰好の入門書!幕府の本拠地鎌倉で、宗教はいかなる役割を担ったのか。『吾妻鏡』の仏教関係記事を読みなおし、源頼朝の信仰、栄西・日蓮ら僧の動向、永福寺はじめ大寺院の役割などを平易に解説。仏教からみた鎌倉時代像の扉を開く。
ユネスコ世界遺産の登録は叶わなかった。それでも鎌倉が、日本が誇る歴史文化都市であることに変わりはないだろう。いまでも市内のあちらこちらで、遺跡の発掘が継続されている。本書で取り上げた史跡には、休日の訪問者さえ少ないものがふくまれる。屋敷跡、小さな社、切通し、井戸…中世の武家や町民たちがそこに生活していた証ばかりだ。鎌倉のすばらしさは、こういった一般的な観光ルートから外れたところに潜んでいる。
「地積規模の大きな宅地」の評価などを追加!「適正な評価」をするための基礎知識から調査方法、評価の考え方まで網羅。誤りの多い減価要因については特にページを割いてパターンごとに詳説。写真や図版を多数収録し、具体的なイメージをつかめるよう構成。土地評価に慣れていない方、初めての方はもちろん、資産税に強くなりたい税理士・実務担当者必携!
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」時代考証チーフが、平安末期から鎌倉時代に活躍した人物たちの虚像と実像を一人ひとり徹底解説。源氏将軍、執権北条氏はもちろん、梶原景時、畠山重忠、三浦義村ら御家人から、後白河、後鳥羽など法皇・上皇、貴族まで。さらに政治・文化や武士の生活、戦いに関する最新研究と併せて、この時代の複雑な人間関係や出来事の背景がすっきりわかる一冊!
鎌倉幕府の宗教政策の研究に一石を投じる。鎌倉幕府が行った年中行事、あるいは天変や疾病の際に実施していた祈祷の特徴について整理し、摂関家との比較を踏まえ一権門としての鎌倉幕府の性格を確認した。また、鎌倉幕府の儀礼がどのように運営されたかを多面的に分析するため、儀礼の場を重視した鎌倉殿と、儀礼に関係する御家人たちの意欲・経済状態といった視点からも考察し、鎌倉幕府の宗教政策を闡明にした。
日本では平清盛が政権を掌握してから徳川慶喜による大政奉還までの約700年間、武家政権が断続的に続いた。武人による長期支配は東アジア全体でも珍しい。本書では源平の誕生から鎌倉幕府の樹立を経て、承久の乱により武士が朝廷を超える権力を手にするまでを「武家の棟梁」の視点から記した。激動の時代の中で源氏や平氏、北条氏たちはどのように戦い、そして滅びていったのか。日本史に大きな影響を与えた武家政権成立の過程をQ&A形式で解説する。
神奈川県愛甲郡愛川町に残る「頼朝伝説」に注目して、関係資料を渉猟。「石橋山で破れた頼朝は、真鶴から船で安房へ逃れた」とする定説を覆す、大胆な仮説を展開する。
お布施をくすねた罰で、鎌倉にある禅寺・三光寺に送られることになった、お気楽跡継ぎ坊主の高岡皆道。不動明王のような強面の禅一、謎めいた優男の高仙ら“ワケアリ”の先輩僧侶たちに囲まれながら、慣れない修行に四苦八苦。そんなある日、修行仲間の源光が脱走騒ぎを起こしー。すねに傷もつ「悟りきれない」修行僧たちの、青春“坊主”小説!