源頼朝に始まる鎌倉幕府が滅亡すると、鎌倉は急速に衰退しゴーストタウンとなったと考えられがちだが、実態は違っていた。京都室町に幕府が移った後も、鎌倉は東国を管轄する鎌倉府の所在地として十五世紀半ばまで繁栄を続けた。武家の首都として誕生し、幕府滅亡後はほとんど知られることのない都市鎌倉とはいかなるものだったのか。源氏、北条氏、足利氏、上杉氏の足跡を寺社や史跡に尋ねながら、謎に包まれた鎌倉の中世を歩く。
現在の横浜市域は、かつて武蔵国都筑郡・久良岐郡と武蔵国橘樹郡・相模国鎌倉郡の一部から成っていた。当地は二俣川合戦、和田合戦などの舞台となる一方、執権一族の金沢流北条氏が称名寺や金沢文庫を創設し、叡尊・忍性などの高僧や兼好などの文化人が訪れて、東国における文化の一大中心地ともなった。本書は、当地に関連する秩父平氏諸氏や、山内氏、長尾氏、佐々木氏など相武の大地で活躍した武士たちの消長を追いつつ、荘園・郷村・寺社などの変遷や市域に所領を持った武士たちにも言及し、鎌倉幕府との関連を踏まえながら、歴史資料をもとに鎌倉時代の横浜市域とその周辺の全貌を描き出す。
源義朝が平清盛に滅ぼされて二十余年。遺された源氏の子らは、武士という存在の意味を求め、強大な平氏を滅ぼさんと立ち上る。帝の軛を離れ、武士の国を創ろうとする源頼朝。帝とともにあろうとする源義経。二人の狭間にあって、源範頼はただ友を守るため、兄を、そして弟を殺すべきか、その答えを探しに天朝始まって以来最大の戦いに身を投じる。
法然、栄西、親鸞、道元、日蓮、一遍ー彼らを開祖として鎌倉時代に相次いで勃興した新たな宗教運動は、日本思想史上の頂点をなすと広くみなされている。「鎌倉(新)仏教」と呼ばれるこの潮流は、民衆を救済対象に据えたという点において、とりわけ高く評価されてきた。だが、新仏教の意義は、はたしてこの民衆的性格に言い尽くされるのか?本書では、旧仏教との異同を深く掘り下げて考察することで、鎌倉仏教の宗教的特質の核心をあざやかに浮き彫りにする。思想家である前につねに実践の人であった偉大な宗教者たちの苦悩と思索の足跡をたどり、中世仏教の生きた姿をとらえた好著。
頼朝の武家政権樹立を支え、鎌倉幕府を守り抜いた尼将軍!
鎌倉幕府の“裏事情”知ってますか!?鎌倉殿(将軍)が、京の貴族や平家から政権を奪い取り、その後も強力なリーダーシップで日本をまとめた…?いえ、話はそう簡単ではありません。13人の御家人、いわば家来たちの権力闘争の連続が鎌倉時代だった、とも言えそうです。戦国時代よりスリリングかもしれないこの時代を、どうぞお楽しみください。小学中級から。
700年続く武家政権の創始と日本の中世とは何か、を解明。平安の律令政治が崩れていく中、時代を再構築できない院、平家。源頼朝は、先行きの見えないこの時代に登場する。変革期に現れる混沌の中に、光明を見いだし、新時代、日本の中世を形づくっていった立役者たちの成功と失敗。
壇ノ浦合戦で源平内乱に勝利した源頼朝は、義経及び奥州藤原氏の討伐を敢行。各地の武士団を御家人組織に結集させ、鎌倉幕府を確立する。頼朝亡きあとの幕府は尼将軍北条政子のもと内紛を繰り返すが、実朝暗殺を契機に朝幕関係が綻び、両者が刃を交える“承久の乱”を迎える。
ノンフィクションの書き手としてノーベル文学賞を受賞した作家の創作の道のりと極意。その全貌を、ペテルブルグ、ミンスク、シベリア、チェルノブイリ、福島でのNHK同行取材記録のほか、充実した講演・対談・評論によって明らかにする。「ドキュメンタリー文学」の手法とは何か。『戦争は女の顔をしていない』や『チェルノブイリの祈り』はいかに書かれたか。
平家との戦いを制し、鎌倉府は朝廷と並び立つ存在となった。しかし、源頼朝死後、幕府をわがものにせんとする父・北条時政と御家人たちの権力抗争が激化。ついには、2代将軍・頼家に続いて3代・実朝まで暗殺される事態に。弱体化した鎌倉へ朝廷はついに大軍を差し向ける。繰り返される難局を義時は越えられるかー!朱に染まる鎌倉の黎明を迫力の筆致で描く!
源頼朝が創始した鎌倉幕府のしくみは、どう理解すべきか。将軍が唯一の首長であるにもかかわらず、執権・連署を掌る北条氏が権力を握っていく。さまざまな切り口を示し、鎌倉将軍権力の実像を明らかにする道標となる書。