本書は古代から戊辰戦争までの我が国の戦いが、どのような時代背景のもとで、どのような経緯を経て戦いに至り、どのような戦いの形態・様相であったのか、そしてその戦いがどのような影響を及ぼしたかについて見てみようとするものである。
大正末期から昭和初期、大々的な琉球芸術調査を行い、貴重かつ膨大な資料を残した研究者・鎌倉芳太郎。稀代の記録者の仕事を紹介する本邦初の評伝であるとともに、彼に琉球文化の扉を開いた人々の姿、そしてそれが現代に繋がるまでの熱きドラマを描く。第二回河合隼雄学芸賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞をダブル受賞。
街道が整備された近世と違い、山や河原、海際をたどる中世の旅は過酷だった。貴族の旅日記を主軸に、地理学・地震学・地質学や潮の干満の研究成果も活かし、当時の景観を復元。地形改変に挑む人々の営みにも触れる。
親が育ち子が育つ、そんな地域をつくろう!出会いと感動の場「鎌倉てらこや」の10年間の軌跡!
鎌倉時代、信濃は相模・武蔵に次ぐ武士の中心地だった。
近代美術の“殿堂”で過ごした40年。「忘れ得ぬ人々」をめぐる回想記。
昭和のまんなか、上河原で暮らした子どもと少女時代の思い出。
後醍醐帝は遠大なる野望に燃えていた。かつて後鳥羽帝が目指し志半ばで潰えた王政復古、つまり天皇親政の再建である。二度の蒙古襲来で鎌倉政権は衰退している。元弘三年、楠木正成、新田義貞、足利尊氏の挙兵に助けられ、後醍醐帝はついに討幕を果たした。しかし帝を待ち受けていたのは、皇位に二帝が即くという、前代未聞の南北朝の動乱だった…。
家宰として関東管領山内上杉氏を補佐した実力者。太田道真とともに「関東不双の案者」と称された景仲の動向をたどり、永享の乱から享徳の乱へといたる激動の時代を活写する。
戦乱の続いた中世の武家社会では、和歌は必須の教養であり「力」であった。一門や家臣との結束をはかるため、あるいは他国との交渉の場面で、また神仏との交流をはかる意味でも、自らの支配を確かにするために和歌を使ったのだった。武家政権の発祥地である関東を中心に、鎌倉将軍宗尊親王、室町将軍足利尊氏、江戸城を築いた名将太田道潅、そして今川・武田・北条の戦国大名を取り上げ、武士の実像を探る。