文覚上人と大威徳寺-。岐阜県加子母地区に伝わる疎んじられてきた史実とその意味に光を当てる。下呂市による大威徳寺発掘調査によって明らかになった、その歴史的重要性。鎌倉幕府創建を陰で支えた文覚上人との関わりから探る、かつてない鎌倉前史。
東国を背負った二人のリーダー、時政と政子。「鎌倉」の時代を創るために父と娘は中世という時代にどのように向き合ったのか?伊豆・京都・鎌倉、それぞれの地域で彼らは新しい時代とどのようにかかわったのか?東国の自己主張を時政と政子の生き様から汲み上げる。頼朝が、義経が、そして後白河院・後鳥羽院が、それぞれの場で顔をのぞかせる。緊張の公武関係を新しい視点からひもとく。
武士たちはどうやって独自の政権をつくったのだろう。戦いの専門家が政治力をつけて、700年におよぶ武家支配を確立するまで。
『枕草子』『源氏物語』などのかな文学や国風文化がはなやかだったころ、朝廷では院政が始まり、地方には「武士」が現れます。やがて平清盛が太政大臣にまでのぼりつめ、平氏の繁栄がつづくのですが…
三百年の間、軍隊を持たなかった平安時代。だが、平安とは名ばかりで、海賊や盗賊の横行によって王朝は衰亡の一途をを辿っていた。保元元年(一一五六)七月、戦乱の火の手が上がった。源氏は一族の命運をこの戦に賭けたが、続く平治の乱に敗れ壊滅状態に陥った。栄華を極める平家をよそに、二十年の雌伏の末に再開される、儚くも華麗な源平合戦絵巻の裏面史を描く。
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なぜ、頼朝は天下を取れたのかー。激動の治承・寿永内乱の中で、複雑にからみ合うそれぞれの思惑。平清盛や後白河院、東国武士団をはじめとする地域社会はどう動いたのか。鎌倉幕府草創の要因を丹念に分析し、頼朝の人物像をあぶりだす。
泰平の世、全国の善男善女はこぞって名所めぐりの旅に出かけた。寺社参拝のために故郷を後にした庶民の覚悟や、文人層の修養と名所めぐりをかねた旅など、行動文化の視点から、旅の大衆化が進む江戸時代を探訪する。
平氏一門によって一夜のうちに灰燼に帰した南都(興福寺・東大寺)は、誰の手によってどのようにして復興されたのか。朝廷・摂関家・幕府・寺家それぞれの思想や意図を明らかにするとともに、多くの作例から復興造像と仏師たちの関連性を探る。造像の担い手を運慶ら慶派中心で論じる従来の学説に一石を投じ、新たな鎌倉時代彫刻史の地平を広げる。
新たな時代・中世が始まり、美のありようも変化した。迫真の肖像画が描かれる一方、現実の風景に宗教的な幻想を重ねたような絵巻物もつくられた。本巻では、これらの肖像がや絵巻物のほかに、仏画に垂迹画、工芸などを通して、鎌倉から南北朝期の人々の美意識、人間観、世界観を明らかにする。
鎌倉に本拠を構えた源頼朝は、数度の長期遠征を経て物流の動脈たる街道をおさえ、その支配領域を拡大していく。幕府成立期において街道が果たした政治的役割を明らかにし、鎌倉に富が集積されるにいたる過程を描く。
大正末期から昭和初期、大々的な琉球芸術調査をし、琉球文化についての貴重かつ膨大な資料を残した鎌倉芳太郎。彼がテーマとしたのは、芸術、文化、歴史、民俗、宗教、言語など、幅広いことも、ほかに例をみない。81冊におよぶノート、2500点の写真資料、古文書文献、紅型型紙…稀代の記録者の仕事と、彼に琉球文化への扉を開いた人々の姿、そしてそれが現代につながるドラマを描く。
十六夜日記の作者阿仏が、ごく若い時期の不幸な恋愛の顛末と、その恋に傷ついた自身の姿を、一人称で描く作品(『うたヽね』)。世相がもっとも混乱した南北朝時代、面前で夫を斬首された女性、日野名子の数奇な一生。乱世の中にどのように生きたのか(『竹むきが記』)。
政治の実権が朝廷から幕府に移った鎌倉時代。二度にわたる元の襲来(元寇)を撃退した後、次第に鎌倉幕府は力を失っていきます。そして、京都と吉野にふたりの天皇が並び立つ南北朝時代が始まります。
NHK大河ドラマ「北条時宗」の舞台を歩く。作家永井路子がたどる歴史・風土エッセイ集。
源頼朝の後を継いだ二代目鎌倉殿頼家。北条氏に実権を握られ、遊興に耽る「暗君」像が見直されつつある。近習と宿老、十三人の合議制、訴訟対応、蹴鞠など、「失政」「愚行」の挿話にも触れつつ、頼家とその時代に迫る。
松坂屋の隠居・松六夫婦たちが湯治旅で上州伊香保へ出立することになった。一行の見送りに戸田川の渡しへ向かった金座裏の宗五郎と手先の政次・亮吉たちだったが、そこで暴漢たちに追われた女が刺し殺されるという事件に遭遇する…。金座裏の十代目を政次に継がせようという動きの中、功を焦った手先の下駄貫を凶刃が襲う!悲しみに包まれた鎌倉河岸に振るわれる、宗五郎の怒りの十手ー新展開を見せはじめる好評シリーズ、新装版第七弾。