人間国宝・桂米朝演じる上方落語の世界。落語の原型は上方にあり。江戸の洒脱な落語とは違う上方の強烈な雰囲気を堪能していただく。第二巻「奇想天外」は、シュールな落語大全集。突拍子もない発想の、話芸だからこそ描ける世界。
他の落語本では見ることのできないネタが満載。滅んだ落語のほかに、東京からの移植ネタや、文我代々(初代〜三代目)の速記も収録。目で追うだけでも想像が膨らんでくる、上方落語の新たな展開を予期させる待望の書。
人間国宝・桂米朝演じる上方落語の世界。第三巻は、「愛憎模様」。渦巻く愛蔵、とまらぬ色気。人間というものの濃さ、面白さが炸裂する。けれどもそこは落語、時代に練られて生き残ってきたかろみを兼ね備えたものを、本人による口上を添えて、堪能していただく。
人間国宝・桂米朝演じる上方落語の世界。第四巻は「商売繁盛」。商売の都にふさわしい商人の心意気や、珍商売の数々。落語を通じて上方の経営哲学を知り、ビジネスを学ぼう?という一冊。
ますます円熟する上方落語の第一人者、桂米朝の落語の世界。第六巻は、「事件発生」。すわ事件発生!日常に波紋がおこったその時こそ、本当の人間の姿が現れるものだ。そこに起きるさまざまな人間模様。
ますます円熟する上方落語の第一人者、桂米朝の落語の世界。第七巻は、「芸道百般」。さまざまな芸能、芸事にかかわる落語集。いまや失われてしまった芸の中に、大道華やかなりし日本のいにしえを偲ぶことができる。
第八巻は、「美味礼賛」。落語を聞いて「アッ、うまそう!」と思わず口中に唾がたまった経験はありませんか。食べものがテーマ、もしくは食べるシーンが一つの魅力になっている話を集める。最終巻につき、著者ごあいさつあり。
人前で笑われることを恥とし、人格を磨いた上方町人。歌舞伎・文楽・狂言・落語、四人の人間国宝を通して、そんな風土に生まれた、粋で洒脱な上方芸能の魅力に迫る。
薩摩の強豪・島津氏を降した石田三成は、真田信繁こと滋野幸村の献策を得て、加藤清正が包囲する、立花宗茂の居城・柳川城に向けて進軍し、壮大な罠を仕掛ける。三成憎しの一念に凝り固まった清正だが、三成配下の人材の豊富さと、三成自身の真摯な姿勢に感銘を受ける。また、徳川家康の陰謀の証拠を突きつけられた清正の心は、激戦の末に大きく揺れ動いた。一方、大坂に座す家康は、島津敗れるの報を得て、次の手を打った。東国では、真田昌幸や伊達政宗が蠢動を始める。家康を豊臣家の膝下に従えるべく、西海道の兵を糾合し、果たして三成の東上は成功するのか。
「乳頭の色は?」鶴光と仁鶴の一番弟子、仁智の上方艶笑落語。鶴光の「初天神」は庶民の生活描写が細やか。仁智の「びっくり解体新書」は身体の各パーツが語り出すというシュールな創作落語。味わいの深さでは圧倒的に鶴光が上。鶴光は84年、仁智は86年の収録。
1に続き上方漫才の濃いところがタップリ味わえる。かしまし娘で始まりフラワーショウで締めるという構成もうれしい。美花二輪(?)に挟まって柳次・柳太、ラッパ・日佐丸、そして宮川左近ショウと今はなき道頓堀の角座の舞台が眼前に広がる。
2〜30年前の音源を中心にまとめられた10枚組全集。仁鶴の落語を音だけでしっかり聴くと、音の上での楽しみが実に多いことに気づく。たとえば否応なくクローズ・アップされるのが、一定の声音で切れ目なく語る技術。ここから生まれるテンションの高さと、観客の集中力が一致するときに仁鶴流の“語り芸”が生まれてくるのだ、というようなことを冷静に考察できたり。おそらく舞台が見えたら、まったく別な感じ方をさせられるに違いないのだが。これだけの内容に、ブックレットがやや不釣り合いなのが少々残念。