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社会意識のことを語る

そもそも多くの人々の中では「世間」と「社会」が「本音」と「建前」に分化していると言う指摘は重要なのだが、ここで「本音」と「建前」とは何かと言うことを考えておくと、「建前」はしばしば「本音」を取り繕うもの、あるいは「本音」を隠すものと捉えられるわけだが、問題はなんでそんな面倒なことが為されると考えられているのかってことなんじゃないのかなと。
そういや自分が宗教というものを大嫌いになったのは、一般的に宗教色が強いと考えられる共同体の内部に入ったことがあるのだが、結局そこで生きる人々にとって宗教を自らに利益を誘導したいと言う本音を隠す建前として運用され続けている様を何度も見たことを背景としていて、「ああ、人に信仰を迫るのはこいつらが深く信仰しているからじゃなくて、使える建前の効力が及ぶ人を増やしたいだけなんだな」って思ったし、信仰のような内面の核にありつつ検証を受け付けない強力すぎるものを共有することにはそもそも無理があって、その無理は簡単に建前化してしまうと感じたからなのだったが、ここでは建前を「なんかしらんが、そう言うと影響を及ぼしたい他者の抵抗を回避できる口実の体系」として捉えている。
んで、そういうものとして「社会」が捉えられている場合、それは宗教のようなフィクションの体系かもしれないものと取り替え可能なものとして捉えられてしまっていると言うことで、個人としての自分と接続を感じていないと言うことなのだろう。
しかし、「社会」なんてものは想像も含めた無数の「世間」のかけあわせから浮かび上がる像で、言わば地図のような俯瞰的意識であり、その妥当性は明かだと思うのだが、一方で「地図が読めない」ってことは普通にある…と言うかどっちかって言うと自分も方向音痴だしなぁ…