日韓関係 by id:Kodakana

個人請求権の行方

日韓請求権経済協力協定には、いくつか「書いていないこと」がある。日韓両政府の妥協の結果、意図的に曖昧にされたとみられる部分だ。そのうちの一つは、これによる請求権の放棄とは、外交保護権の問題なのか、個人請求権を含むのかという点である。条文自体は読みようで個人請求権を含むようにとれないことはないし、そうでないようにも考えられる。

これについては交渉が行われていた当時から問題となっていたが、昭和四十年十一月五日、衆議院「日本国と大韓民国との間の条約及び協定等に関する特別委員会」議事録にもその質疑応答が記録されている。

○石橋委員 ちょっと待ってください。聞き方が間違えました。
 外交保護権を放棄しただけであって、個人の請求権を放棄したのではないという解釈をとっておられたわけです。――もう一度お尋ねします。国の財産権のみならず、個人の財産権の所属変更、移転まで承認したというのであるならば、外交保護権のみならず、個人のそれぞれ持っているところの国際法上の請求権すら、個人の承諾なしに、不当にも国が放棄したことになるのではないか、こういう意味です。正確を期して私もお聞きします。

○椎名国務大臣 外交保護権だけを放棄したのであります。

○石橋委員 そうしますと、各個人は韓国に対して請求権を持っておる、このように考えられるわけですか。

○椎名国務大臣 条約局長から答えます。

○藤崎政府委員 韓国で、昔だったら米軍、いまだったら韓国政府当局が、それぞれの法令によってとった措置の効力を承認したわけでございます。したがいまして、当該の日本人が自己の権利を向こうへ主張しようとしても、これは向こうの国内法上の権利であるわけでございますが、それは実際問題としては取り上げられないだろうということになるわけでございます。

○石橋委員 そうしますと外交保護権も放棄した。日本国民の個人のいわゆる所有権というものも、これも全部、その当人の承諾なしに、日本政府がかってに放棄した、こういうふうに認めていいですか。

○藤崎政府委員 前段におっしゃった外交保護権のことはそのとおりでございます。個人の請求権というものは向こうさんが認めないであろうということを申しているわけでございまして、この条約、協定で、そういうものを日本政府が放棄したということじゃないわけでございます。

○石橋委員 日本の政府は国民の生命、財産を保護する責任があるわけですよ。それをかってに放棄したと同じ形になるじゃないですか。それに対して責任を持たないのですか。

○藤崎政府委員 それが外交保護権の放棄ということでございます。

○石橋委員 いままでは分けて説明しておったはずです。外交保護権は放棄する。しかし個人の請求権は残る、こう言ってきたはずじゃないですか。では個人の請求権は残るというから、残ったつもりで韓国政府を相手に訴訟を起こそうとしても、それは実際は無理でしょう、受け付けないでしょう。名目だけの請求権になるじゃないですか。権利はないのとひとしいじゃありませんか。今度のこの協定の中で何らかの措置がとられておれば別です。何にもとられておらないということは、実質的に個人の請求権まで日本政府が抹殺したと同じじゃないですか。これはすでに法律的な問題を離れます。外務大臣、その点について責任をお感じになりませんか。

○椎名国務大臣 先方のこれに対する措置として、国内法の問題につきましては、これは外交上の関係でございませんからしばらくこれに触れませんが、とにかく外交上としてはあなたのおっしゃるような結論になるわけです。

○石橋委員 そうしますと、政府は外交保護権も放棄した、個人の請求権も実質的に放棄した、しかもその請求権者、所有権者というものの承諾は得ておりません。そうなれば、これは必然的に日本の憲法に基づいて補償の義務を生ずる、このように考えますが、いかがです。

  〔発言する者あり〕

○安藤委員長 お静かに願います。

○高辻政府委員 お答え申し上げます。
 ただいま条約局長からお話がございました趣旨は、この外交保護権の放棄ではある、しかしその在外財産自身は向こうの処理の問題であるということをお話しになりましたが、要するにそれをもう少しかみ砕いて申し上げますと、日本の国民が持っておる在外財産、その在外財産の運命と申しますか、その法的地位と申しますか、そういうものはその所在する外国の法令のもとにあるわけです。したがって、外国の法令においてその財産権の基礎が失われた場合に、日本の国民がそれを争うことができるかどうかということになりますと、それはその国の国内法の問題になります。で、いま現在問題になっておりますのは、そういう措置があったとして、そういうものについて外交上の保護をする地位を放棄してということであって、財産権自身を日本が、たとえば収用をしてそれを放棄したというのとは違うわけでございます。ところで、憲法の二十九条の三項によりますと、二十九条三項は、日本国がその公権力によって収用した場合の規定であることは御承知のとおりでございます。したがって、政策上の問題は別でございますが、憲法二十九条三項ということを御引用になりましたその点については、私どもは憲法上の補償、法律上の補償ということにはならないのではないかというふうに解しております。

○石橋委員 外務大臣は明確に言っているわけです。外交保護権は放棄した、個人の請求権も実質的に放棄した、こう認めておられるのですよ。だから、あなたに聞いているのではないのです。もう法律解釈はわかっておる。だから内閣、政府の責任を私は追及しているんです。法律的なことを聞いているんじゃない。とにかく所有権者の、請求権者の承認も何もなく、かってに政府が放棄するというような行為が許されるか。実質的に救済の道はないのです。回復しようとしてもその道はふさがれておるという説明までなされておるのです。
  〔委員長退席、長谷川(四)委員長代理着席〕
そうしますと、これは当然国家の利益のために国民の財産が充当されたという、こういう解釈をとらざるを得ません。賠償か賠償でないかということは争いのあるところでございましょうけれども、とにかくその中に在韓財産、日本国民の財産というものが加味されておるということは、これはもう否定できないと思う、何と言おうとも。国の利益のために個人の財産が犠牲になっているのです。当然これは補償の問題が出てくると思います。いかがですか、外務大臣。総理大臣がおいでなら総理大臣に聞きたいのですけれども。

○椎名国務大臣 個人の請求権を放棄したという表現は私は適切でないと思います。南辻法制局長官が言ったように、政府がこれを一たん握って、そしてそれを放棄した、こういうのではないのでありまして、あくまで政府が在韓請求権というものに対して外交保護権を放棄した、その結果、個人の請求権というものを主張しても向こうが取り上げない、その取り上げないという状態をいかんともできない、結論において救済することができない、こういうことになるのでありまして、私がもしそれを放棄したというような表現を使ったならば、この際訂正をいたします。
 それで、これに対する何か補償権というのが一体どうなるかということにつきましては、私は法制局長官の解釈に従いたいと思う。

○石橋委員 これは総理にお伺いしたいところなんです。あなたは先ほど、実質的に放棄したと言っていいのかと言ったら、そういうことになるとはっきりおっしゃいました。それはもう正直な答弁ですよ。外交保護権は放棄したけれども、個人の請求権は残っておると言ってみたところで、それでは韓国に対して訴訟を起こして回復しよう、その道は閉ざされている。実質的に放棄したことになる。間違いないじゃありませんか。それなのに補償の義務はないという、そういう議論は成り立たないと思います。これは総理が来てから私それでは確認をすることにいたしまして、関連の申し入れがありますから譲ります。

慎重を期して長めの引用をしたが、要するに当時の日本政府の見解としては、日本人の韓国側に対する個人請求権そのものは協定によって放棄されない、それが認められるかどうかは韓国の国内法の問題だということになる。だから実際には認められないだろうという理屈になるが、もし韓国側の事情が変わって認めれるようになれば、それはそれで構わないということにもなる。協定による請求権の放棄は相互的なものなので、韓国人の個人請求権も失われないということになる。

この政府見解はその後も受け継がれている。協定批准より四半世紀余を経た、平成三年八月二十七日、参議院予算委員会に次の記録がある。

○清水澄子君 そこで、今おっしゃいましたように、政府間は円滑である、それでは民間の間でも円滑でなければならないと思いますが、これまで請求権は解決済みとされてまいりましたが、今後も民間の請求権は一切認めない方針を貫くおつもりでございますか。

○政府委員(谷野作太郎君) 先ほど申し上げたことの繰り返しになりますが、政府と政府との間におきましてはこの問題は決着済みという立場でございます。

○政府委員(柳井俊二君) ただいまアジア局長から御答弁申し上げたことに尽きると思いますけれども、あえて私の方から若干補足させていただきますと、先生御承知のとおり、いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。
 その意味するところでございますが、日韓両国間において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできない、こういう意味でございます。

○清水澄子君 七月十日の韓国の国会で、野党が強制連行された朝鮮人の未払い賃金を請求することについて質問したことに対し、韓国の李外相がそれは日本から返してもらう権利があるという趣旨の答弁をしておりますが、このこととどういう関係になりますか。

○政府委員(谷野作太郎君) 韓国政府も、先ほど私が御答弁申し上げましたところ、あるいは条約局長が御答弁申し上げたところとこの問題については同じ立場をとっておるわけでございます。
 ただいまお話のありました李相玉韓国外務大臣の発言がこの問題についてございますので、そのくだりを読み上げてみたいと思います。「よくご存じのように、政府レベルにおいては、一九六五年の韓日国交正常化当時に締結された、請求権及び経済協力協定を通じこの問題が一段落しているため、政府が」と申しますのは韓国政府がという意味ですが、韓国政府が日本との間において「この問題を再び提起することは困難である」、これが韓国政府の立場でございます。

ここで政府委員が、従来の見解を述べるのとともに、韓国外相の発言を引いて答弁に代えていることから、この点に関して日韓両政府の立場は一致していたとみなせるだろう。

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