日韓関係 by id:Kodakana

日韓請求権経済協力協定により私有財産の請求権を失うと考えた日本人の意見。昭和四十年十二月一日、参議院日韓条約等特別委員会公聴会(この中の「基本条約第二条第二項(a)(b)の措置」はこの協定の間違いだと思われる)。

○公述人(平野佐八君) 私は、今回の日韓条約につきましては、はなはだ遺憾ながら、全面的に反対をするものであります。
 特に、基本条約第二条第二項(a)(b)の措置については、直接私たちに関係のある事柄で、とうてい納得できないものであります。日本政府は、さきに一九五一年九月八日、サンフランシスコ平和条約において、韓国にある日本人の財産は、米軍司令官の行なった行為に同意する旨調印をいたしました。しかし、戦いに敗れたりといえども、個人の私有財産は、国際法上もこれを認めるところであるにもかかわらず、今回、日韓基本条約第二条二項の(a)(b)の措置は、これにとどめを刺さんとするもので、私たちかの地に私有財産を有する者は、極度にこの権利を侵害されるものでとうてい黙視することはできません。ここに所信を表明いたし、公述いたす次第でございます。
 以下私の経歴、引き揚げまでの大要と、反対をするゆえんを明らかにしたいと思います。
 私は明治三十四年、佐賀県藤津郡久間村に生まれました。父は治三郎、母はケサという。父は片いなかで三反百姓をやっておりました。同郷の田中円太郎という人と相はかりまして、新天地にて農業を経営すべく、わずかばかりの土地や家屋を売り払いまして、両家の家財一切を、農機具、世帯道具など一切を一隻の和船に積みまして、玄海を越えて渡鮮いたしたのであります。そして、第一種移住民として、全羅南道康津郡梨旨面中堂里という僻地に移住いたしました。当時は、日韓併合以来日なお浅く、対日感情は悪く、加うるに交通は不便にして、気候風土、言語、風俗習慣全く異なるまことに悪条件重なり、生活は容易ではありません。これより先二十五年の義務年限を果たすには、いかがすべきかと全くとほうにくれたのであります。しかし、何とかして所期の目的を達しようとふるい立ち、農事に専念しましたけれども、土地は極度にやせ、疲れ切ったる土地は容易に回復せず、肥料を施せども全く土地に吸収されて、土地つくりのみにて十年あまりくらいは収支償わなかったのであります。入植当時は、かの地の生活は、非常に向こうの人はゆったりとしておりました。貨幣は、葉銭といって一文銭のようなものを、なわやひも等に通してロバやチゲで運んでおった次第でございます。戸籍等も、番地なんていうものはなくて、何統何戸、税金などは、何負何束といっておったのであります。土地の単位は斗落と呼びまして、一斗落は、種もみを苗しろに苗を仕立てまして一斗植えつける面積を表現していい、一斗三升落というものは、やはり一斗三升の植えつけをする場所でおります。そうして農業をやっているうちに、大正五年の春、私の父の治三郎は、重病にて長わずらいをいたしまして、僻地なれば近所には医師もありませんで、いたしかたがなく四里半くらい離れました霊岩というところの内山医院に足を運びまして、朝は一番鳥ごろに起きて、まっ暗な道を月出山という険難な道を越えまして、十六歳の少年が一人で往復九里半の道を通っておったのであります。そうしてそれは五日ごとに通いまして半年もやったのですが、父はかの地で大正五年の十一月十九日になくなったのであります。この父のあとを引き継ぎまして、そして農事に専念して、向こうの人と一緒になりまして、あるときは山に、あるときは野らに、農繁期などはお互いに手間がえをいたしまして互いに助け合い、かたわら農事を一生懸命に励み、農事改良を着々と進めたのであります。品種の改良、深耕、正条植え、適期の刈り取り、むしろ干し、脱穀調製、農機具の改良または堆肥の増産等に力を尽くし、また、先覚者山崎延吉先生あたりの講演会にも出席し、道郡主催の農事講習会にはつとめて出席しまして、見聞を広め、これが普及をはかり、内鮮融和につとめたのであります。私たちは、朝鮮の農業に大いに貢献いたしたものと存ずるのでありますが、朝鮮の農事改良に東拓移住民の果たした功績は実に大きなものがあると思います。これはかの地の農業及びその関係者の方々はよく存じておられることと思います。
 かくのごとくにして、私は二十五年間の長年月のうちに、父母や妻子、兄弟、幾多の肉親を失いまして大いなる犠牲を払い、汗と涙で二十五年間の義務年限を果たし、年賦償還金を完納してあがない取った命よりも大切な不動産の所有権であります。私は、これらの財産を取得するにあたりまして、家事に協力しながら志半ばにしてなくなった肉親の霊を弔い、供養するために、この所有権の一部をやきまして、この墓のために、かの地に将来の供養にするように、その年々の収入によってその方法をお願いするというようなつもりでおったのでございまするが、今回のような条約ができ上がりますると、私の希望しておる計画は全くできないことになってしまいます。かような見地から、私は自分の長年かかってあがなった土地を、そういうふうにして使いたいと思いますので、こういう条約には反対でございます。
 続きまして、この長年朝鮮におりました関係上、韓国の方の心理状態もよくわかっておりますが、今回の条約は、対日請求権問題、管轄権の問題、漁業水域の問題、在日朝鮮人法的地位の問題、竹島の問題等、ことごとく韓国側の一方的な外交に押しまくられた感があるのであります。韓主日従屈辱外交にて、私はとうてい満足することはできません。
 私のお願いは、はなはだぶちこわし的でおそれ入りますが、一たんこの協定は御破算にしてもらいまして、互譲平等の精神に立って再び交渉を持っていただきまして、円満なる条約を締結することを希望いたします。
 これにて私の公述を終わりまするが、本会場に私が出席して意見を述べるように御取り計らいいただきました関係者皆さまに厚く御礼を申し上げるとともに、将来ますます健全な国家建設のために御努力いただかんことをお願いいたして、私の話を終わります。(拍手)
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