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グリッドガールの廃止は F1 のためになる

先日 F1 の運営組織がグリッドガールの廃止を決定したということが伝えられた。F1 では長い間、グランプリが開かれる時に、モデルなどを職業としている女性が雇われ、スターティンググリッドでその位置に就く選手のエントリー番号を掲げる習慣になっていた。これを廃止する理由について、F1 の商業責任者 ジョーン・ブラッチズの言葉として次のように伝えられている(F1が2018年からグリッドガールを廃止「F1にふさわしくない」とリバティ・メディア (オートスポーツweb) - Yahoo!ニュース)。

「グリッドガールは長年F1グランプリにとって不可欠な存在だったが、この慣習は我々のブランドバリューとは一致しないと感じ、現代の社会規範と相反するものであると感じる。この慣習はF1と世界中の新旧ファンにとって適切なものではなく、関連性が薄いと我々は考える」

この発表から読み取れることは、性別に関する倫理的なことだけではない。グリッドガールの廃止という決定は、F1 が抱えている大きな問題の一部への対処に過ぎない。F1 が抱えている問題は、その70年に及ぼうとする伝統と歴史の長さに起因している。この時間の長さは自動車を作る技術が急速に発達した時代の中において、「古いもの」への暗愁を生み出すのに十分過ぎる長さである。現在の F1 はかつてのような最先端のスポーツという印象を失い、今や古臭いものになってしまっている。

F1 の古さという問題は、レースのルールに最も分かりやすい形で現れている。F1 ではいくつかの問題を解決ないし緩和しようとして、ルールの細かい修正を積み重ねてきた。しかしその結果として、レースが複雑で理解しにくいものになってしまっている。最先端のマシンが全力で走り、先頭でチェッカーフラッグを受けた者が勝ち、という単純明快な面白さはすっかり失われてしまった。

旧弊は安全性の面にも現れている。1994年のアイルトン・セナの死亡事故以来、最大のスターを失うという痛手を受けて、F1 マシンの安全性は高められてきた。F1 の車体は頑丈になり、かつては骨折を免れなかったような事故でも五体満足で済むという場合が多くなった。しかし最後に残った問題は、ドライバーの頭部が露出しているという部分にある。何か物が跳ね上げられて頭に当たったり、衝突の際に頭に大きな衝撃がかかると、十代な負傷につながる可能性が高く、実際にそうした事故は起きている。

露出した頭部という問題に対しては、キャノピーを付けて安全を図るという案が早くから提出されていた。しかしこれは長い間、前途洋々たる若いドライバーが死ぬ事故さえ起きているのに、採用されなかった。反対意見として報道を通して聞いたのは、要するに F1 マシンの伝統的な外観を変えたくないというものである。葉巻型といわれる古い形から今は随分と発達してはいるが、細長い胴体、突き出した四つの車輪、開放型のコクピットという基本的な特徴は、F1 の歴史を通してほぼ貫かれている。

もしキャノピー案を採用すれば、F1 の外観は大きく印象を変えることになっただろう。それは一部の古いファンを失望させたかも知れない。しかし安全性を単純に高めるのとともに、新しいファンの獲得には役立ったのではないだろうか。結局 F1 では、2018年から Halo と呼ばれる柵のようなものを付けてドライバーの頭部を保護することになったが、これは今の所 F1 マシンをよりかっこよいものにしそうにはない。

さて F1 の古さが阻んでいるもう一つのものは、女子選手がこの競技において地位を確立するということである。F1 のチームには女性スタッフが目に見えて増え、監督を務める女性も出ている。この面では F1 社会は進歩する能力を示している。選手としては、テストドライバーとして女性が活躍するところまでは来ている。おそらくこうした女性たちの能力は、20人程度の正ドライバーたちの中に入っても十分競えるか、またはそこにもうすぐ手が届く水準に達していると思われる。

だが女性が正ドライバーとして活躍できるかどうかということになると、やはり業界の古い層からは F1 は男がやるもので、女にはふさわしくないという声が、報道を通しても聞こえてくる。こういう層の人たちは、安全性の確保にも後ろ向きで、モーターレースは危険を冒す勇敢な男がやるものだ、という意識をまだ持っている。こうした意識は古い人が持っているだけではなく、若い層にも全く伝わっていないとは言えない。

こうした古さの悪い面を F1 が一掃できない状況で、グリッドガールという存在は旧弊の象徴になってしまっていると私は思う。競技をする能力があるのは男だけで、女は花を添えるためにだけ居場所を与えられる、という絵を結果的には作ってしまうのだ。今日では多くの女性が生活上の必要から車を運転していることもあって、モータースポーツに女性ドライバーが存在すれば、それはそのカテゴリにとって有力な訴求要素となるだろう。しかし F1 の現状は、まだそこに至るまでに多くの障害を残している。

プロスポーツである F1 は多くの資金を必要とする。マラソンなら選手が走りさえすれば、もうかりはしなくても競技はできるが、F1 ではまずマシンを作らなければ走り出すことさえできない。従って F1 は多くの観客とスポンサーを必要とし、稼ぐことは至上命題と言ってもよい。持続していくためには常に新しいファンを獲得していかなければならない。そのためにはもしグリッドガールが古さの象徴になってしまっているとすれば、これを廃止することは必要条件と言ってよいだろう。

私はBSフジが撤退するまで二十年以上 F1 観戦を続けていたが、もしもう一度 F1 を見るとすれば、その時はグリッドガールのいるサーキットではなく、女性ドライバーが参戦しているレースを見たいと思っている。

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