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美の巨人たちのことを語る

ナレーター弥太郎だった・・・テレ東www

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あんなとこ住んでみたい。。。(・ω・) ←妄想中

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広い軒をつけたバルコニーのある邸宅
沖縄のリゾートホテルを思い浮かべた >コロニアル・スタイル

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あ、やっぱり(確定じゃないけど)キリシタンだったかもしれないのね

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設計者は日本人だけど天草の出身、ときくと
いろいろ勘繰りたくなる

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スコットランド出身のトーマス・ブレーク・グラバーが
長崎にやってきたのは、ペリーの黒船来航の6年後だった。
グラバー住宅を建てたのは、その4年後。

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夏の ”日本の建築スペシャル” vol.4、 最後は、
長崎の 旧 グラバー住宅 です。
 
半円形の部屋に合わせた放射状の屋根を、伝統的な瓦で造る。
その下には 洋風のバルコニー。
激動の時代に誕生した、特異な和洋折衷の建築。

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いきなり(エセ)土佐弁のナレーションきた

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「扉なしでどれだけ 暮らせるか」。
 
ひと間の ”私の家” に 家族で16年住み、
その隣に ”続・私の家” を造った際も、
部屋と部屋を仕切る扉を 一切造らなかった。
 
中に暮らす人々に、仕切りを造らなかった。

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今日も日本の建築スペシャル。
清家清 の ”私の家”。
 
両親の家の庭に造られた ”私の家”。
玄関らしい玄関も作らず、地面とほとんど変わらないような低さ。
そこに、1,5m四方ほどの、可動式の畳を 真ん中に置く。
5分もあれば掃除できてしまう その ひと間の家に、
清家の哲学があった。

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(・ω・)。o 0 ( モデュロール兄弟、出てきてほしかったなぁ・・・ 来週出てきたらいいのに・・・ )

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秀吉の大阪城も、建築当時は黒塗りだったという。
松本城を 漆の黒塗りにしたのは、秀吉に仕えた石川数正親子が、
豊臣家の権威と それへの服従を表したため、という。
 
大阪城が焼け落ちると、家康が白い大阪城に建て直し、
それに倣って、家康に仕える者によって 白い姫路城が建てられた。

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今週も ”日本の建築スペシャル”、松本城です。
 
さっきまでの冒頭部分、スピルバーグの 『太陽の帝国』 の
曲が使われていたような・・・

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しまった、映画見てたら こっち見忘れてた、
て ことに 今更気づいた・・・・・・!
今週 モデュロール兄弟 出る回だったのに・・・・・・!!
 
(´;ω;`)。o 0 ( モ・・・・・・モデューーーーーーー!!!! )

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[内藤タワー5兄弟]
名古屋テレビ塔
通天閣
別府タワー・札幌テレビ塔
東京タワー

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3丁目の夕日(1作目)の風景だ

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次回は、 ”日本の建築スペシャル”vol.1、東京タワーです。
 
モデュロール兄弟も出るよ!

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ゴーギャンがゴッホを描いた 『ひまわりを描くゴッホ』 は、
アムステルダムの ゴッホ美術館におさめられている。
その絵と対になる、 ゴッホが ゴーギャンを描いた絵とともに。

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共同生活の初めのうちは、ゴーギャンのほうが
指導的立場にあり、 ゴッホが、アドバイスされて
ゴーギャンふうの絵を描いたこともあったという。
 
しかし、一見荒々しいように見えて、
実は 黄色を引き立たせるために下地に紫を塗るなど、
本当のところは、とても計算された 優れた色彩感覚を
持つゴッホの才能に、 プライドの高いゴーギャンが
嫉妬したのではないか、 とも 言われているという。
 
ふたりの画家のぶつかりあいは より激しくなっていった。