幼稚園の年少さんの頃の話。
毎年、幼稚園で運動会があるのだが、私は参加したくないと頑なに拒否した。
運動会が行われるグラウンドに行きましょう、と先生に諭されるも、参加する意義が分からない私は、静かに椅子に座って居た。
(確か、玉転がしとか何でやるわけ?と思ってた気がする。)
先生「グラウンドに行けばコーヒー牛乳がもらえるよ。行きましょう。」
結局、この一言でしぶしぶグラウンドに向かった私であった。
年中さんや年長さんの時には運動会の記憶があまりないから、世渡りってやつを覚えたんでしょうw(^m^)
4歳位の時、病院で階段の手すりの下にある、柵のようなところの隙間に頭を突っ込んで抜けなくなったことがある・・・。
色んな科の先生とかが来て大騒ぎになって、チェーンソー的機械が持ち出されるも、どこかの科の先生がうまく頭を傾けてあっさり抜けたという事件を起こしたことがある・・・。
後日病院に行ったら、全階の手すりの下の柵にプラスチックの板が張りめぐらされておった・・・。本当にすいませんでした・・。
まさに小悪魔だった(外見は確かに可愛いのだが)一学年下の妹君をそれはそれは可愛がり、
「お姉ちゃん」では無く名前で呼び捨てにされても気にもせず、
粗相をすれば一緒に粗相をして一緒に叱られ、
母上が遂に妹君に教育的指導をしようとすると泣いてかばっていたそうです(記憶無し)。
もしあの当時に戻れるなら「スポイル」という言葉の意味を自分に教えてあげたいです。
母 「アナタ、今も甘いじゃない。」 私 「・・・。」
雪が解け、ようやく春の兆しを感じられる頃になると、家族みんなで山菜を採りに山に出かけた。
目指すは野生の「たらの芽」だった。
クルマで30分くらい走った山の中に、うちだけの秘密のポイントがあるのだ。
誰も知らない秘密の場所だなんて、ちょっとカッコよくて、ちょっと誇らしかった。
たらの木には、たくさんの刺があって危ないので、採取するのは大人の役目。
子供だった自分は、祖父と父の手際の良さやカマ捌きに見とれながら、採れたてのたらの芽をかごに入れる係。
どんどん集められる小さなたらの芽を、宝物のように大切に扱った。
もちろん帰ってからすぐ…[全文を見る]
怖い夢を見て半覚醒状態のまま、こたつの周りをぐるぐるまわっていました。
その夢というのがなんら具体性のない「恐怖」そのものといった感じのもので
今でもあれはなんだったのかなー?と謎のままです。
怖い夢を見て半覚醒状態のまま、こたつの周りをぐるぐるまわっていました。
その夢というのがなんら具体性のない「恐怖」そのものといった感じのもので
今でもあれはなんだったのかなー?と謎のままです。
子供向けに書かれた伝記を読むたびに、「どうして、タイトルの人は謙遜の美徳を無視しても、とがめられないのだろう? 不思議だ。」と思ってしまう、子供でした。
「中間管理職の悲哀だね」はやはり耳タコNGワードデスか…?
いつかウルトラクイズに挑戦したいと思って毎週木曜スペシャルを食い入るように見ていた俺は、ツアーも終盤の雪積もる北方の湾岸での罰ゲームで、失格者を乗せたイカダ(ボート?)がそのまま海に流され画面に「帰国未定?」みたいなテロップが出たのを見てどん引き、ウルトラクイズに挑戦しないことを心に誓った。
白地に黒。1だけ赤。白黒逆のやつをもっていると「おっ」という感じ。一辺5mmくらいか。パーティージョイに付属していたやつなどが一ヶ所にまとめられた。角を支点に回転させたり、コップをかぶせてがちゃがちゃやって本体には手を触れず積み重ねたり。
「俺は(ひらき台から川上小中学校に抜ける道の途中にある溜め池で)竜を見た」発言で名を馳せ、後に失踪したケンリくんは、「念じて出目を操れる」と言っていたような。 T&Tにかぶれて「たくさん持っているほうが実用的でかっこいい」という風潮になったこともあった。おれはいつでもファイティングファンタジーできるように筆入れなどにふたつみっつ入れていた。
いまから考えれば小さいころの小さいさいころの話。
何かの数を数えるというと「ひとつ、ふたつ、みっつ、ようけ(←たくさんの意)」と言ってた。つまり、みっつ以上は数えられなかったと、さんざん親に聞かされた。
長じて数学はもっとも苦手な科目に。
三つ子の魂百まで。
一年中袖なしシャツに半ズボンは当時そんなに珍しくもなかったけど、雷雨の時に興奮して「うおおー」と叫びながら走り回ってたのは僕だけだったと思います。
小学校低学年の学芸会で役を決めるときに、
『これが一番可愛いだろう!』とアマガエルの役に立候補し、
他にアマガエル希望者がいなかったため、すんなり決まって張り切ったものの、
稽古を重ねるにつれ、なぜアマガエル役を可愛いと思ったのか、
自分でもわからないまま、後悔しながら学芸会を終えることになりました。
インフルエンザの予防接種が怖くて学校中逃げ回った。
いざやってみると拍子抜けするほど平気だった。
真夏でも門限が夕方5時
決まった時間に父のバイクの音…と、共に遊び道具を投げ捨て友達にもサヨナラも言わず一目散に家へ…
しか~し!バイクの速さに勝てるわけが無く、決まって玄関先で父がニヤリとしてジョッピン(鍵)をかられ、泣きながら石炭小屋(物置)へ
の繰り返しをほぼ毎日繰り返してました^^;
主人の子供の頃
実家でアイヌ犬と一緒に熊を飼ってました(小熊です小熊)
その熊は自分を犬と思い込み主人が学校から帰るといつも遊んで~とタックルされていたそうです
やがて大きくなり旭川動物園に引き取られ、たまに会いに行くと¨ここだよー¨と言わんばかり遠吠えをしていたそうな…
今でも懐かしそうに話してくれます
小学校のサッカーチームが無駄に頑張っていたので、(たしか)小学4年生リーグで6か7試合で得失点差+50(得点51、失点1)というバルサも真っ青な試合をしとった。
ワイ将、キーパーで声かけだけやっとったで
押し入れの天袋から、天井板を開けて屋根裏に忍び込み、煤けていた。
父が持ち帰った会議資料の裏側に、妹とそれぞれ顔を描き、取り替えっこして服を描くという「着せ替えっこ」みたいなことをしていた。
二枚重ねのティッシュを一枚に剥いで、週マの上に乗せて、好きな絵をトレースしていた。