禁止というか買ってもらえなかったもの。
炭酸飲料やジュース、ポテチなどのスナック菓子。
(例外:誕生日やクリスマス)
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禁止というか買ってもらえなかったもの。
炭酸飲料やジュース、ポテチなどのスナック菓子。
(例外:誕生日やクリスマス)
自分の名前を自分で呼ぶこと(「A子ね~」的な)。
一度、友達の真似をしたら即「“私”と言いなさい!」とぴしゃりと言われた。
当時はどうしてそんなにきつく言われるのか理解できなかったけど、正しかったよね…
漫画。
7時のニュースより後のテレビ。
自分で服を買うこと。
漫画は葛藤の末あるとき破っちゃったけど結婚するまで隠しアイテムだった。
テレビは母の気分次第でわりとどうにもなったけどわたしもわりとどうでもよかった。
服については結婚してしばらくたって「わたし服を買ってもいいんだ…!」って気がついた時の嬉しさと戸惑いがすごかった。
父的に禁止だが母的にOKなものと母的に禁止だが父的にOKなものとがあって両者の緊張関係を活用すればなんとかなるものも多かった。
・漫画雑誌や漫画の単行本を買うこと
うちの親父にとっては、漫画はすべからく低俗なものだったらしい……団塊の世代のちょい前くらいの世代なんだけどなあ。
・ゲーム全般
ファミコンを始めとするゲーム機を使ったゲームだけでなく、「人生ゲーム」みたいなボードゲームの類いも買ってもらえなかった。
トランプとかるた、あと親とやる麻雀や花札(金は当然賭けない)は例外だったけど。
そのせいかどうか、俺は今でもゲームやギャンブルにほとんど関心がない。
ドラクエもFFもやった事がないし、PCに入ってるフリーセルや上海ですら起動させた事がないよ。
小学6年の時に、私の成績にムラがあることを心配した教師が、母に「もう漫画は卒業させてください」と言ったらしいが、漫画を購読していたのは母で、私は母のお下がりを読んでいただけだったのであった。
こんなこと言われたよーと伝えられはしたが、禁止はされなかったらしく今に至る。
不良になるから、と、スケバン刑事は見せてもらえなかった。
母がお風呂に入っている間とかに
すっごい小さい音ににして、何回かはこっそり見た。
お祭りへの参加。
夜の口笛。ヘビが寄ってくるという理由で。
ファミコンが丁度発売された頃にとても欲しくてねだったのですが、小学校に上がる前から両視力が1.0なかったため、ファミコンは言語道断で買ってもらえませんでした。
友人の家で触らせてもらえた時は嬉しかったなぁ。
まぁ、高校の頃にゲーマーになったのはあの頃の反動が絶対大きい気がします(笑)
禁止というか、水曜日はテレビを見ない日と決められていた。
ドラゴンボールの悟空が小さい頃のストーリーがよくわからないのは、きっとこのため。
禁止されていたというのとは違うけれど、
みんなが持っている物と同じものを買って貰った記憶が無い。
母上が「みんなと同じ」が嫌なタイプなので……
骨がとけると言われてコーラとファンタはめったに飲ませてもらえませんでした。
父から「コーヒーは刺激物だから高校生になってから」と言われていた。
結局こっそり缶コーヒーを飲んだのは中学生も半ばになってから。
でも、おかげでカフェインが効きやすい体質になったのかも?と思うと悪いことばかりではない。
○ゲーム類。メガネでやっと人並みに視力が出たので、ゲーム類は一切禁止。視力を失うのも怖かったのでそれほど欲しいとも思わなかった。
○鉄道の雑誌が21日ごろに本屋に並ぶのを知ってたので、本屋にそのころはちょっといってた。毎月雑誌を買うのは難しかったので、立ち読みで済ませてたら、それも禁止になって、そのかわり図書館へゆくようになった。
買い食い。
更にうちはおこずかい帳と残高が合わないとおこずかいがもらえない制度だった。(買ったものも見せる)
でもでも友達と買い食いしたいじゃん!ってことで、ブラックhanaちゃんはおばあちゃんのお財布から小銭をくすねて買い食いしてました。
子供ってあんまり厳しく制限すると、何とかしてやろうとして悪いこと考えると思うのよねー。
なぜか「ザ・ぼんち」がやっている漫才の視聴。
禁断の漫才師でした(´・ω・`)
自分が通う小学校区の外に自転車で出ること
駄菓子屋で買い食いをすること。近所の子に誘われて店に行っても、糊を買って帰ってきたという。
ごくごくたまに、ヨーグルトとか楊枝で刺すフルーツ餅みたいな奴が好きだった。
バケツや洗濯かごなどをかぶって遊ぶこと。
(背が伸びなくなる!と怒られました)
北枕