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歓びの野は死の色すのことを語る

『野の花集』

 とはいえオレの苦しみは自業自得という名の因果応報であり、ことさらに嘆いてみせるのはオレがそれだけ弱い人間だという証に他ならない。または「語り手」としての本能で、自身の恥部を晒してみせているだけにすぎない。廉恥心なぞというものはオレにはない。ましてオレは大貴族として育てられた人間でもなかった。いっときは捨て子としてエリゼ派の修道院で養われた。そういうオレには貴族としての矜持も政治家としての知恵も徳も何もなかった。
 ところが、だ。
 賢人宰相と呼ばれたあの男には、何もかもがあった。富も権力も、何もかも。
そしてま…[全文を見る]

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歓びの野は死の色すのことを語る

『野の花集』

 モーリア王国で賢人宰相と呼ばれた男の残した覚書は、今ではオレのまとめた『随想集』としてだけでなく、全編詳細な注解つきで出版されている。オレはあれらを捨てるに忍びなかった。オレにくれたものならば、それをどうしようがオレの勝手だろうと居直った。ただし、オレが死んで百年たつまでは手を付けてくれるなと遺言した。
 オレは『歓びの野は死の色す』を記した当時、まだ十五歳だった。その年で葬祭長になった。オレは《夜》をこの国にもたらした。死者どもを呼び寄せて語らせたのだ。
 召喚師、霊媒師たるオレの名声は今後も衰えることはな…[全文を見る]

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『野の花集』

 返答は、ない、か……。
 このオレ様が年寄りじみた嘆き節で懇願してやったのに、いまどきの人間どもは不敬だな。
 まあ、いいさ。
 無視するなら無視すればいい。
 オレだって、生きてたころは年寄りの繰り言をやりすごした。死人に口なし。たとえ耳許でうるさくがなられようとも、だ。あいつらにはなんにも出来やしない。それと同じだと迫られたら同意する。生きてる人間は忙しいからな。生きているというだけで重労働だとは死者であるオレも知っている。暇な身分じゃないと返されたらオレだって邪魔して悪いくらいのことは口にする用意はあるさ。
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『野の花集』

 恋人よ、
 白い花 摘みにいこう
 緑なす丘へ 

 恋人よ、
 赤い花 摘みにいこう
 幸せな明日
                  エリゼ公国北東部シャロンヌ村俗謡より
                  アレクサンドル・デリーゼ『野の花集』所収 

 オレは〈死者の軍団〉の力を借りてモーリア王国を撃退後、文字通りこの国をはしからはしまで歩き回った。表向きの理由は史上初の男性葬祭長として各神殿を詣でるためであったが、主目的はエリゼ公国に伝わる俗謡と民話の蒐集だ。逆ではない。オレは真剣にエリゼ公国のそれらについて…[全文を見る]

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外伝・空が青いと君がいった日(再掲すみません)
4 

「わたしが思うに、それは君がやることじゃなくて《死の女神》の神殿の仕事じゃないかな?」
「それはそうかもしれないですが、女の人のためってだけじゃなくて、太陽神殿の教義や対応自体に問題があるのは事実です。けっきょく世の中って弱いひとのところに負担がいきやすいじゃないですか。そういう全てをどうにかできるとは思ってませんが、考えて、少しでも動かせるなら、どうにかしたいんですよね」
 彼のいうとおり、戦乱や疫病でわりない被害にあうのは子供、老人、そして女性だ。また、家や家族を失った女…[全文を見る]

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外伝・空が青いと君がいった日(再掲すみません)

 わたしがとぼけると、ジャンは尋ねたことをあからさまに後悔したように口を曲げた。その顔をみて、自分が少し嫌になった。自己嫌悪を払拭すべく、わたしはすぐさまその名を告げた。
「マリー・ゾイゼ。この国の宰相閣下の息女にして、アラン・ゾイゼ神殿騎士団長の妻だ。もっとも、あまり公式行事にも出席しないから話したこともないけどね。彼女もわたしの顔をそれと知っているかどうかわからない。それで?」
「それでって、なんですか?」
「気になったから、わたしに尋ねたんだよね? 他に聞きたいことがあれば…[全文を見る]

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外伝・空が青いと君がいった日(再掲すみません)

 ジャンがいったい何故、そんなところに女を連れて行くのか判じかねた。彼に限ってそんな事はないと思う一方、なにか揉め事になるのではないかとも考えた。彼がちょくせつ関係していないにしても、穏健なはなしには成り得ない。いざとなれば仲裁に入らなければならないかもしれず、わたしは足音をしのばせて人通りの少ない道を歩いた。
 はたして、待ち合わせでもしてあったのか、門のすぐそばには白いヴェールをかぶったほっそりとした貴婦人が立っていた。わたしは彼女に見覚えがあった。背中をむけたままのジャン…[全文を見る]

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外伝・空が青いと君がいった日(再掲すみません)

 世は並べて事もなし。
 娼婦と寝た朝に思うのは、そんなことだ。
 わたしに背をむけて軽い鼾をかく女は、モーリア王国から来たという。かなりの売れっ妓らしく顔も身体も悪くなかったが、いささか喋りすぎたし化粧が濃い。
 神殿に戻るまえに湯をつかわなければ、この匂いでエミールに嫌われる。
 いちど、脂粉塗れで朝帰りしたのを見咎められて以来、わたしは身を整えて太陽神殿に戻るよう気をつけていた。あの女の子みたいに可愛らしい顔が嫌悪感にゆがむのを目にすると、少々倒錯的な興奮をおぼえないでもな…[全文を見る]

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外伝・風に舞う蝶(再掲すみません)

 ここまで話してきて、アンリさんは顎に手をあてて考えこむような顔をして、問題の石を指差しました。
「その石って、これのことだよね?」
「そうです」
「元に戻ってる……?」
 僕は、深くうなずいてから口にしました。
「ジャンは始めから、次の見回りのときには元の場所にあるはずだから心配するなと言ってくれていたのです」
「ああ、そうなんだ。じゃあその通りになってよかったね」
 そう言ったアンリさんは僕の顔を見て首をかしげました。
「あれ? エミールは、あんまり嬉しそうじゃないね」
「僕も安心して喜びたいの…[全文を見る]

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外伝・風に舞う蝶(再掲すみません)

 一月ほど前の、見回りのときのことでした。
 西側の一角の石が動かされていて、それを農民たちに抗議したとき、ジャンは彼らのはなしを聞いただけですましてしまいました。僕が口を挟もうとすると、お前は引っ込んでろといって後ろに押しやるのです。
 ジャンは、同じことの繰り返しや行き当たりばったりで要領を得ず、まったく整合性のない農民たちの言い訳を、一言も漏らさず耳に入れていたようです。僕は嘘をつく人間が大嫌いなので実は途中で苛々してしまったのですが、ジャンがその場を動かないものですから、黙って彼の…[全文を見る]

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外伝・風に舞う蝶(再掲すみません)

 あの蝶を、初めて見たのは「見回り」の日のことでした。
 見回りとは、太陽神殿の葡萄畑が他の所領地とちゃんと区別されているかどうか確認する作業です。そのころの僕は、エリゼ公国の都にたったひとつだけの太陽神殿に「神官見習い」として勤めていました。
 都の東側の突端にあるとても小さな太陽神殿には、僕たちの主にして神官職であられるルネ・ド・ヴジョー伯爵、神官見習いのニコラさん、作男のアンリさん、作男なのにやたら教義や式典に詳しいジャン、そして僕エミールがいたのです。
 「見回り」が始まったのは、そ…[全文を見る]

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外伝・この胸の炎

 さしもの俺もその言い振りにはとさかにきて反抗した。
「俺だって、神官様がこの国のお姫様と結婚できたらいいと思ってますよ」
「そう。できたらいい、それがおまえの本心だ。おまえの心配はこの神殿がどうなるかで、またはこの国がどうなるかだ」
「なっ、だ、だってそりゃ」
「勘違いするな。おれはそれを責めてるんじゃないさ。上つ方の立場は庶民と違うことくらい、おれもよく知っている。だが、それはあの方の人生を自分たちの平和のために犠牲にしてくれと願っていることだと、一度でも考えたことがあるか?」
「……貴族なら、あたりまえのこ…[全文を見る]

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(再掲すみません)
外伝・この胸の炎

 このところ毎日、我らが太陽神殿の主は街の西向こうにある古神殿にお出かけだ。
 そこには、この国のお姫様がいらっしゃる。10年前、そのお姫様と神官様は相思相愛だったらしい。
 仲間みんなが大盛り上がりなんでいちおう話を合わせちゃいるが、ほんというと、俺が気になるのはこの神殿がどうなるかってことだ。
 神官様はルネ・ド・ヴジョー伯爵様といって、この大陸でも有数の名門貴族のお生まれだ。そこに、隣のモーリア王国から王女を嫁にもらわないかっていう話がきた。
 なにせ、仰々しいナリをした宰相閣下がお出…[全文を見る]

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外伝・神官さまの恋

 ちかごろの神官さまはまったく元気がありません。
 僕の知るかぎり、太陽神殿の神官であらせられるルネ・ド・ヴジョー伯爵は、めったなことではため息などつかない方でした。
 少なくとも、僕が見習いとしてこの神殿に寝起きするようになってこの三年、あんなに苦しそうなお顔をされるのを見たことがなかったと思います。
 表向きはいつものように振る舞っておいでですが、僕たちに気を遣い、こっそりと人目にたたないところで吐息をついているお姿には、暗澹たる気持ちになります。
 そんなときは、光り輝くような純白の式服でさえ、心なし…[全文を見る]

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外伝・月の石
10

「では、そのいたいけな姫君はどうなりますか」
 わたしの問いに、陛下は肩をすくめて一笑した。
「それはその姫君の考えることで、己の仕事じゃない」
「酷いことを」
「酷かろうが、己は皇帝として己の面倒を見るだけで精一杯だ。
 誰もがそうさ。
 だがな、その姫が真実、女神の娘なら、己たちが束になってかかってもどうにもできるものじゃなし」
「なるほど。それは、そうですね」
「ああ、そうさ」
 陛下はそう居直るとまた瞳を閉じた。
「もしも、子が生まれたら」
 わたしの問いには間をおかず、
「子供が生まれたら生まれたでそのとき考…[全文を見る]

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外伝・月の石

 それから数ヵ月後、とうとう皇后陛下が薨去された。
 陛下は表向き、いつもと変わらぬ顔で過ごしていた。いささか酒量が増えたものの、それもすぐに元に戻った。
 まだ三十代の陛下がお独りでいることを、そしてまた、これという飛び抜けた皇位継承者のいないことを、みなが案じていた。

 年が変わって少したち、わたしは陛下に新たに皇后を迎える気がないかと尋ねた。
「世継ぎの件か」
「ええ」
 陛下は書物から顔をあげ、いくらか視線をさまよわせた。
 わたしは、毛皮につつまれて長椅子に横たわる陛下より頭が高くならぬよう絨毯のうえに直…[全文を見る]

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外伝・月の石

 夏至の日、太陽神の装束に身をかためた陛下は、美々しいお付きを従えてことのほか楽しそうに一日を過ごされた。
 そのなかに、ルネの姿はなかった。

 その日の宵、差出人の名前もなく銀香梅の花輪が届けられたことで、わたしはひとり、声なく笑った。彼は、わたしを姫君だとでも勘違いしていたのかもしれない。
 銀香梅――月の神が愛で、花嫁を飾る冠となる、幸福の花。
 信奉する神の愛でる花ゆえに、わたしはそれをただ捨てるにはしのびなく、葉を千切って寝台に落とし、両手を広げてそのうえに横になった。
 彼はきっと、帝都にいる限りにおい…[全文を見る]

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歓びの野は死の色すのことを語る

外伝・月の石

 無言でいると、彼はわたしの正面にゆっくりと歩み寄った。初めて見かけたときには慣れない長衣をもてあましていたが、今は荘厳にさえ見えた。
 彼はわたしの前でしずかに片膝をつき、さしだされた指輪をいったん自分の手に取り、それからわたしの手を恭しく捧げもって、わたしの中指にそれを嵌めた。
「どうぞ、そのままお納めください。私の無骨な指にそれはあいません」
 彼の手は温かく、背はわたしと変わらないのにその手は大きかった。わたしは自分の前で跪く少年の顔を見た。
 いや、それはもう、少年と呼ぶには柔らかさを失った男の顔だった…[全文を見る]

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歓びの野は死の色すのことを語る

外伝・月の石

 わたしはその顔をじっと見つめた。
 彼が、自分の出世をふいにしてもわたしとの約束を守ろうとしてくれていることがうれしかった。たとえ故郷に帰るにしても、陛下の近侍としての役目をいただけることがどのような栄誉であるか、彼は熟知しているはずだ。
 また、それを断っても自分の立場が思っている以上には悪くならないと確信できるほど、この一年で神殿や宮殿で地位を得たことにも気がついた。
 わたしは、この世の絶対者である陛下を袖にしてまでわたしに付き合ってくれようとする人間をおのれが持ちえたことが、心底恐ろしくなっていた。
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外伝・月の石

 彼と知り合って一年がすぎた。
 その年の五月、わたしは珍しくルネ・ド・ヴジョーを私室へと呼びつけた。
 大神官から彼を説得してくれと申し入れがあったのだ。
 大神官がわたしと彼の間柄を知っていたことは意外だった。
 そして、そう思ってからすぐに、彼ではなくこのわたしに太陽神殿の密偵がはられていることを察した。
 養父であり義父である男とわたしの妻が死ねば、わたしはこの世界でいちばんの金持ちになるのだった。
 わたしはそのことを以前から身にしみて理解していたはずが、この一年ほど忘れていたのだった。少なくとも、ルネ・…[全文を見る]