1999年のプーチン(六・了) エリツィンはなぜプーチンを選んだのか|こだかな
6000文字超えちゃった。だけどもう最終回だと言ったから分けない。なんか結局今回だけ読めばわしの考えたことは受け取ってもらえる感じです。
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1999年のプーチン(五) 無名の首相プーチン|こだかな
1999年8月、プーチン首相就任から年末の下院選まで。次回、「エリツィンはなぜプーチンを選んだのか」というお題で最終回にしようと思います。本当だよ。
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1999年のプーチン(四) エリツィン、共産党との対決|こだかな
ようやくあの暑かった(かどうか憶えてない)1999年の夏の入り口までやって来ました。春の決戦、弾劾決議阻止へ辣腕を振るうエリツィン。このあとどうなるのか、当時は全く予想ができなかった。
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1999年のプーチン(三) キリエンコ、プリマコフ、そしてステパシン|こだかな
三回くらいと言ったなあれは嘘だ。たぶん五回くらいになる。このあたり経緯が複雑で、脱線しないように適当な量に圧縮するのが大変。まだプーチンは出てきません。
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1999年のプーチン(二) 土壇場のエリツィン|こだかな
第二回です。今回は、プーチン登用の背景として、エリツィン政権下のロシアの状況と、98年のキリエンコ内閣期の金融危機までを振り返ります。
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書いた:1999年のプーチン(一) 1998年までのプーチン|こだかな
古い新聞記事の切り抜きを袋詰めにしていたものを整理したのでそれを史料にして、当時全く無名だったプーチンが表舞台に登場した前後の状況を振り返っていきたいと思います。たぶん一回2000文字前後で三回くらいになるかと考えています(←無計画)。
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このごろとみに気になる「〜たち」の使われ方について考えました。気になる? 気にならない?
日本語に「複数形」が出現するか? 「〜たち」の変化から考える|こだかな
なお短時間ででっちあげた今回のヘッダ画像。いつからあるのかわからないマッキーがまだ書けた。ひょっとすると30年くらいのものかもしれない。