補遺。「邪馬壱国(邪馬壹國)」について。
『三国志』の現存するものは全て「邪馬壹國」に作る。他の史書等の記述は次の通り。
『後漢書』には「其の大倭王は邪馬臺國に居る」とある。
『隋書』には「邪靡堆に都する、則ち魏志にいわゆる邪馬臺國なる者なり」とある。
『梁書』には「又南に水行十日、陸行一月日にして祁馬臺國、即ち倭王の居する所に至る」とある。
『翰苑』の倭国の項には、「憑山負海、鎮馬臺、以建都」とある。
『太平御覧』にも「邪馬臺國」とあるそうだ。

補遺。「邪馬壱国(邪馬壹國)」について。
『三国志』の現存するものは全て「邪馬壹國」に作る。他の史書等の記述は次の通り。
『後漢書』には「其の大倭王は邪馬臺國に居る」とある。
『隋書』には「邪靡堆に都する、則ち魏志にいわゆる邪馬臺國なる者なり」とある。
『梁書』には「又南に水行十日、陸行一月日にして祁馬臺國、即ち倭王の居する所に至る」とある。
『翰苑』の倭国の項には、「憑山負海、鎮馬臺、以建都」とある。
『太平御覧』にも「邪馬臺國」とあるそうだ。