其八年太守王頎到官倭女王卑弥呼与狗奴国男王卑弥弓呼素不和遣倭載斯烏越等詣郡説相攻撃状遣塞曹掾史張政等因齎詔書黄幢拝仮難升米為檄告喩之
その八年、(帯方郡の新しい)太守王頎が官に到った。倭の女王・卑弥呼は狗奴国の男王・卑弥弓呼と素より不和で、倭の載斯・烏越らを遣わして郡にいたらせ、攻撃しあうさまを説かせた。(帯方郡は)塞曹掾史の張政らを遣わし、よって詔書・黄幢をもたらし、<拝仮難升米>、檄をつくってこれに告諭した。
…「檄」は現代日本語でも「檄を飛ばす」と使うが、元来は人に何らかの行動を要求するための布告や信書。「飛檄」とは急ぎの檄、檄を急いで回すこと。当然だがここの「檄」も漢文で書かれていた。難升米が洛陽に使いした経験があることを考えれば、彼は漢文が読めたのだろう。
