正始元年太守弓遵遣建中校尉梯儁等奉詔書印綬詣倭国拝仮倭王并齎詔賜金帛錦罽刀鏡釆物倭王因使上表答謝詔恩
正始元年、(帯方郡の)太守、弓遵は、建中校尉梯儁らを遣わし、詔書・印綬を奉じて倭国にいたらせ、<拝仮倭王>、あわせて詔賜の金・帛・錦罽・刀・鏡・釆物をもたらした。倭王は使によって上表し、詔恩に答謝した。
…この<拝仮倭王>の部分を「倭王に拝仮し」と読み下す本が多いようだが、謝銘仁氏は「仮の倭王に拝し」と読んでいる。「拝仮」は倭人伝の中にもう一例「詔書・黄幢をもたらし、<拝仮難升米>、檄をつくってこれに告喩する」とある。謝銘仁氏は「仮の難升米に拝し」と読む。すると難升米が卑弥呼の名代を務めていたことを示しているのかもしれない。
