景初二年六月倭女王遣大夫難升米等詣郡求詣天子朝献太守劉夏遣吏将送詣京都
景初二年(三年の誤りだろう)六月、倭の女王、大夫難升米らを遣わして郡(帯方郡)にいたらせ、天子に詣り朝献することを求める。太守劉夏、吏を遣わして送り京都(洛陽)にいたらせる。
…「難升米」の難は奴国の奴に通じ、その国名を苗字として負ったものかもしれないと森博達氏はいう。『後漢書』に「倭国王帥升等」と見える「帥升」は中国風の姓名を名乗ったものかと考えられ、難升米の「升米」も中国風の字(あざな)かもしれない。
魏志倭人伝のことを語る
